北谷町の綱引き
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(3)平安山①期日綱引きを「チナヒチjといい、旧暦の6月24日に行った。平安山では、1936(昭和11)、37 (昭和12)年頃までエイサーが行われていたので、綱引きもその頃まで行われていたのではないかと、字の古老たちはいう。綱引きの由来や起源などについての伝承はない。② 綱の材料と網の形態イ.網綱は雌雄それぞれが1本ずつで、材料は稲ワラであった。材料の稲ワラは集落内でまかなえた。綱は、綱引き会場となるナカミチ(中道)で、前年の綱を修繕して使用した。綱の修繕は、ノロ殿内前の十字路で行われた。また、新たに綱を打つ場合もノロ殿内前の十字路で行った。網の寸法は雌雄それぞれの長さが約50m程、直径は大人が一抱えできる太さであった、ということから60cm程であったと推定される。ティーンナ(手綱)はついていたとの証言は得られたが、その本数や、寸法などについては不明である。綱を引き終えると、雌雄の綱とも、屋号ノロ殿内小(島袋家)のクラ小(畜舎の中二階}に保管した。ロ.カニチ棒カニチ棒の長さは、5尺から6尺(150--180cm)程で、太さは約40cm程であった。カニチ棒にはリュウキュウマツが使用され、綱引き後は網とともに屋号ノロ殿内小(島袋家)に保管されていたようである。③備え・示威行為イ.旗頭と楽器平安山の綱引きに旗頭は用いなかった。綱引き当日の午後12時頃、綱引き場のナカミチ(中道)に尋常小学校5年生--6年生の男子生徒が集まり、大太鼓やドラガニを打ち鳴らした。楽器類は、屋号西糸村(イリーイトムラ)に保管されていた。ロ.テーピー(松明)綱引きには、綱引き場を明るくするためテービーが使われた。テービーには、各家庭から集められたワラや、ウージンガラー(サトウキビの搾り殻)が使われたが、大半がウージンガラーであった。また、綱引き終了後のシーチェー(次項参照)の際には、テービーでもって双方が叩き合うこともあったので、相手に怪我を負わせるような竹を用いたテービーは危険ということから禁止されていた。テービーを持つのは年配の方々であったが、特に年齢は決まっていなかった。-155ー

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