北谷町の綱引き
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多かったという。さらに、特別なシタクなどは出なかったが、年齢には関係なく、綱の上には踊りの上手な人が上って踊りを披露した。ロ.綱引きの時刻と引く回数下勢頭では、夕食をすませ、外が暗くなる9時か10時頃に網を引くユルジナ(夜網)であ.った。綱引きは2回行われたが、2回とも真剣に網を引いた。1回目を引き終えると、勝った組の男たちが一番綱の上で踊ったり、雌雄の網をつぐ中央のカニチ棒をはずして、一番綱のカニチ部分を持ち上げたりした、という。⑥双分組織と綱引きの運営綱引きは、集落をメンダカリ(前村渠)とクシンダカリ(後村渠)に二分して行った。メンダカリは雄網で1組、2組で構成され、クシンダカリは雌網で3組、4組で構成された。下勢頭には行事責任者としてのチナガシラはいなかった。綱引きの準備にはムラの男性全員が参加した。網打ちには、若い青年が綱の本体を作り、ティーンナ(手綱)は年寄りたちが作った。女性の組織はなかった。綱引きには他ムラの人の見物は許されたが、実際に綱を引くのは下勢頭の男性のみであった。女児であっても女性が綱引きに加わることはなかった。そのような中で伊礼千代さん(屋号津波)は、男性の格好をして、水で濡らした手ぬぐいを頭からかぶりメンダカリの綱を引いた。見回りの男性に見つかりすぐに逃げたが、再び戻って引いた。昔は女性も綱を引くことができたようだが、綱引きの翌日まで双方の女性たちが喧嘩をしていたことがあったといい、それ以来カリークジーヤー(吉祥をくじいた者)ということで、女性には綱を引かせなくなったという。綱引き終了後、屋号シチャヌハナグシク前の広場で角力が行われた。このときは他ムラの見物人も参加してよかったが、ここでも下勢頭の女性たちは見物に徹した。ムラアシビでの踊りにしても男性だけで踊った、という下勢頭は、首里から「ムラ落ちjした士族によって立てられたムラであるから、士族社会の習慣(風習)の名残りが行事にも根強く反映されているという。もし下勢頭で、女性が綱を引くことがあれば、結婚した人は実家ではなく、婚出先の綱を引くだろうという。また次三男が別の組へ分家した場合には実家側でなく、住んでいるところの綱を引いた。⑦祭把儀礼下勢頭では、綱引きに関連する特別な拝みはなかった、という。しかし、綱引き当日の旧暦6月16日には、各家庭では必ずミーマミー(収穫した新しい大豆)でつくった豆腐を神仏に供え、ウサンデー(直会)してから綱を引いた。古老たちは、大豆の収穫にあわせて、綱引きを行ったのではないかという。-152ー

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