北谷町の綱引き
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(大)とミームナー(小)があった。楽器の練習はなく、子ども達は先輩方のを聞いて覚えた。メンダカリとクシンダカリとでリズムに違いはなかったようである。そして、綱引き当日になると、子どもたちがドラや太鼓を叩きながら字内を回って綱引きを報せた。ポラは、息とポラ口が合わないとうまく鳴らないため、誰にでもできるようなものではなかった。クシンダカリでは、屋号池根小(クムイニーグヮー)にソーグ、ポラの上手な方がいた。またメンダカリには、屋号加那津覇(カナーツハ)にボラやソーグ打ちの上手な方がいた。ボラは綱引きの時だけではなく、青年を集める時や、村芝居の練習の際にも、集合の合図として使われた。ロ.テービー(松明)綱引き当日の昼間に、14""15人程の子どもたちが、楽器を鳴らしながら字内を回り、テービーの材料となるサトウキビの搾り殻、いわゆるウージンガラーを各家から集めた。各家庭には搾り殻を提供するランクがあり、イチパンチネーの一等は5束、ニパンチネーの二等は4束、サンパンチネーの三等は2束、と本数が決められていた。長さは4尺、太さは10c皿程であった。旧暦の3""4月にかけてサトウキビを収穫すると、各家庭では綱引き用のテービーとしてサトウキピの搾り殻を保管していた。集められたテービーは、束にして綱引き場であるソンドウ(村道)に向かう時や、もしくは会場で灯した。テービーの本数は、メンダカリ、クシンダカリともに特に決まってなく、7""8本程であった。テービーは綱引き場を明るくしたり、相手側の不正を見回るだけではなく、シーチェー(ガーエーの項参照)や、綱引き開始の合図にも用いられた。ハ.綱引き場に向かうまでメンダカリは屋号前ヌ平良(メーヌティーラ)に、クシンダカリは屋号大佐久川(サクガー)に集合した。集合すると、「プージャンナーJと言う人員点呼が行われたー宇内にどの程度、男性がいるということは把握されているので、ブージャンナーの時にいないと酒ー升の罰金が科せられた。点呼をとるのは、筆ができる人が行った。ブージャンナーが済むとソンドウ(村道)に向かつて綱を担ぎ、ドラや太鼓を叩きながらミチジュネーをした。メンダカリは屋号前ヌ平良から出発し、屋号加那津覇からソンドウに出た。クシンダカリは屋号大佐久川から出発して、屋号高江洲(タケーシ)、屋号三良平良小(サンラーティーラグヮー)の前を通り、屋号加那津覇からソンドウに出た。ミチジュネーは、メンダカリ、クシンダカリ共に同じ道を通るので、メンダカりから先に出発した。ソンドウに出ると、綱の上でカチャーシーを踊りながら向かった。綱の上には踊りの上手な人が上がった。落ちそうになることもあったが、綱を担いでいる人が側で踊り手の足を掴まえていた。メンダカリの場合、ソンドウに出て屋号下花城(シチャハナグシク)の前まで来ると折り返してクシンダカリと向かいあった。ニガーエーミチジュネーをして綱を運んでくると、カニチグチ付近に綱を置いてシーチェーを行っ-150-

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