北谷町の綱引き
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(2)下勢頭①期日下勢頭では、綱引きの乙とを「チナフィチJといい、旧暦6月15日のウマチーの日に綱を引いていたが、のちに16日に変更され、1941(昭和16)年頃を最後に途絶えてしまった。16日に網を引いたことについて、字の古老たちは、15日の月よりも16日の月のほうが満ち満ちた月なので、その日に綱を引くようになったのではないか、という。綱引きの起源については明治20年代--30年代ではないか、という。②綱の材料と綱の形態イ.綱下勢頭では、毎年網を新調するのではなく、綱を引き終えると綱を保管し、次の年はその網を修繕して使用した。網の保管場所はメンダカリ(前村渠)が下ヌ亀花城のアサギに保管していたが、昭和7、8年頃からは屋号前ヌ平良小で保管するようになった。クシンダカリ(後村渠)は屋号大佐久川で保管した。綱は雌雄とも2本の綱からなっており、2本の綱を連結すると各綱とも長さが40mにもなったという。各綱の最大直径は60cm程であった。網の材料は稲ワラであった。ワラの調達は集落内で十分まかなえた、という。綱の修繕などは、メンダカリが屋号下ヌ亀花城の前の道から、屋号前ヌ平良小(喜友名家)前の道路に場所を移した。クシンダカリは、屋号大佐久川の前の道路で行った。また、雌雄の綱にはティーンナ(手綱)が数本付いていたようだが、その本数やす法については確認できない。ロ.カニチ棒雌雄合わせて4本の網で構成されていたので、カニチ棒は雌雄の網を連結する中央のカニチ棒と、雌雄それぞれの前網と後綱を繋ぐカニチ棒を1本ずつ用いた。雌雄の網を連結する中央のカニチ棒の長さは7尺(約210cm)、太さは45--50cm程度であった.また双方の綱の前綱と後綱を繋ぐカニチ棒の長さは3尺(約90cm)であった、というが、太さについては聴取できない。カニチ棒には、チャーギ(イヌマキ)やアリク(アデク)が用いられた。雌雄の綱をつぐ中央のカニチ棒は、クシンダカリの屋号大佐久川で保管した。③備え・示威行為イ.旗頭と楽器下勢頭の綱引きに旗頭は使われなかった。綱引きには、ポラとドラ2個、ソーグ2個、太鼓3個が使われた。これらの楽器類は、メンダカリ、クシンダカリと決まっておらず、字所有であった。そして綱引き前になると、子ども達がよく鳴る楽器の取り合いをしていた。ソーグには大きさが異なるウームナー-149-

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