北谷町の綱引き
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拝みは、戦前から男性の拝みといわれ、女性が関与することはなかった。戦前の砂辺では、綱引き当日の夕方になると、根所の当主をはじめ、ムラのヤクミ(役目)らが綱の神(綱引き場のナカミチで雌雄の綱を合わせるカニチグチ付近。ナカジンとも称す)へ豊作を感謝する祈りを捧げた。ムラ人たちは、男たちの祈りが終わるのを待って綱を引いた。各家庭では、ウユミ(折目)と称して、ご飯、御汁などを火ヌ神や、仏壇に供えてからナカミチへ出て綱を引いた。現在の綱引きは、1本の麻製ロープを引き合う。1996(平成8)年の綱引きは、新暦の7月29日(旧暦6月14日)に行われた。その日の夕方、根所の御神屋では、神仏(神棚に向かって左側にムラデー火ヌ神、中央にカミウグヮンスく神御元祖>、右側に千手観音画像が安置される)の前に、根所のビンシー・塩・ご飯・トーフンブサーなどが供えられ、当主の知念正ーさんと、知念敏子さん(根所の娘)の二人によって祈願が行われた。祈願を終えた知念正ーさんは、旧字戸主会の役員らと共に戦前のナカミチ(現在の砂辺ハウジング通り)へ赴き、綱の神・地の神への祈願を行った。祈願には、根所のビンシーと、ウチャヌク(大中小三重の餅三組)、線香15本、白紙(小さく切った半紙3枚)を供え、字民の健康と字の繁栄を願った。なお、砂辺では雌雄の綱の勝敗によって豊作の吉凶を占う年占の伝承や、綱引き後に行われる網に関する特別な処理儀礼なεは確認できない。一145ー

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