北谷町の綱引き
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き場のナカミチ(中道)に用意した。雌雄の綱を連結するための綱寄せの際には「ハルイヤ、ハーイヤ」のかけ声で雄綱を雌網の方まで寄せていき、雌網をかぶせるようにして連結した(図3-1を参照)。雌雄の綱を繋ぐカニチグチは、屋号与那下小と屋号松田小伊礼(マチダグヮーイリー)との間であった。カニチ棒を貫くのは、誰という決まりはなかったが、青年の中でも腕力に自信のある者が担当したという。雌雄の網を連結すると、まず、雄網側に一度引いて、次に雌綱側に引いてから勝負をスタートさせた。綱を引く場合には、綱の前方を男性が引き、女性は半分から後ろを引いた。また、婚出女性の場合、実家側の綱を引くのではなく嫁ぎ先の綱を引いた。特別なシタクなどは出なかったが、綱を引く前には綱の上に数名の男性が乗って、踊りや空手などを披露した。ロ.綱引きの時刻・引く回数砂辺の綱引きは、午後の7時'"10時頃にかけて行われるユルジナ(夜網)であった。大正7年か8年頃、一度だけヒルジナ(昼網)を引いた。この頃からチンクが出るようになった、という。綱引きは2回行われ、1回目が終わるとエッサー(シーチェーともいう)をしてから2回目に移り、2回目を終えると再びエッサーをし、そのあと角力があった。⑦双分組織と綱引きの運営戦前の砂辺では、南北に延びる集落中央の道を境に、メンダカリの雄網と、イリンダカリの雌綱に分かれて綱を引いた。集落中央の道から南西側がメンダカリ、北東側がイリンダカリであった。メンダカリは、前チンジュと中チンジュ(チンジュはサーター組、葬式の手伝いの単位)で構成され、イリンダカリは、後中チンジュと西チンジュで構成されていた。網打ちは、メンダカリがアシビナーのガジマルの木を利用し、イリンダカリは屋号内インガーグヮー横のガジマルを利用した。綱引き行事は、21歳から45歳までの男性たちで構成する二才組の中から選ばれたニーセーガシラ(二才頭)と、15歳から20歳までの男たちで構成する若者組の中から選ばれたワカムンガシラ(若者頭)を中心に行われた。彼らの任期はいずれもし2ヵ年であった。チンク・ポラ・ソープガニも二才組のメンバーらが担当した。カニチ棒を貫く役は特に決まっていなかったが、カニチ棒は重いので力のある者が貫いたという。女性の組織は特になかった。綱引きは、砂辺本集落の老若男女のみで行われ、砂辺ヌメーなどのヤードゥイ(屋取集落)の人々が綱引きに参加することはなかった.綱引きが終了すると、メンダカリの綱は、屋号メンティーラ(前照屋)で保管され、イリンダカリの綱は屋号チカジャン(津嘉山)で保管した。⑧祭杷儀礼砂辺では、旧暦6月14日の綱引きに関する拝みや、旧暦8月15日の獅子舞いに関する-144-

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