北谷町の綱引き
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テービーを持って、メンダカリとイリンダカリの網の端から端まで不正がないかどうか見回った。かつてテービーで屋号与那下小(ユナシチャグヮー)の家の角が燃えたことがあったようで、それ以来、綱を引く前には屋号与那下小の家に水をかけるのが習わしとなっていた。ニ.綱引場に向かうまで砂辺では網を引く前にメンダカリは、屋号前照屋(メンティーラ)の角(屋号津嘉山屋小寄り)にあった広場に集合し、イリンダカリは屋号内犬川小(ウチインカーグヮー)の前にあった広場に集合した。そして各組とも綱引き場であるナカミチに向かつてミチジユネーを行った。スネーは、イリンダカリが集合場所から屋号前喜屋武小(メーヌチャングヮー)とサーターヤー(砂糖小屋)の聞の筋道を通ってナカミチに向かった。一方、メンダカリは、集合場所から東側に向かってナカミチに出た。ホ.ガーエー網を引く前になると各組の男たちが、綱の上で踊りや空手を行った。男たちの演武の後に、綱を引いた。そして綱引きが終わると、綱を端に寄せ、カニチグチ付近でシーチェー(エッサ一、シーチエースープとも言う)を行った。これはメンダカリとイリンダカリの青年男性が、互いに腕から肩をぶつけ合う押し合いの競技であったd双方とも青年のなかでも力が強く、大柄の者を前方に、その他は後方から押し合った。ところでシルークルーの政争時(大正末から昭和初期)、字内の綱引きはシル一、クルーに分かれて網を引くことはなかったが、シーチェーの際には、テービーでもって相手を叩いたり、押し付けたりすることもあったという。女性達は、綱引きが終わると「チナーマキティンモーイヌマキユミ、イヤッササーサッサーサッハーイヤjと歌い踊った。⑤衣装特別な衣装はなかった。綱引きには汚れたり、テーピーをつけられたりするので、一番ヤナジン(着古した衣服)を着け、濡れたタオルで頬被りをして、綱を引いた。シーチエーに加わる男たちは、メリヤスの長袖シャツに、タオルで頬被りをし、全身に水を浴び、ずぶ濡れの状態で競技に臨んだ。⑥網の引き方イ.綱寄せとかんぬきの合わせ方戦前の砂辺の綱は、雌雄それぞれが一番網と二番綱の2本の網からできており、あらかじめ一番綱と二番綱のカニチを繋いで綱引-143-雌綱雄綱5ミ?ー図3ー1

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