北谷町の綱引き
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第三章旧北谷村各字の綱引き1.はじめに戦前の北谷村では多くの字で綱を引いていた。たとえば、砂辺と下勢頭の二ヵ字では、稲の収穫を祝う6月ウマチー(旧暦6月15日)前後に網を引き、平安山・桑江・北谷・玉代勢・伝道の五ヵ字では、稲作の予祝儀礼といわれる6月カシチー(旧暦6月25日)前後に綱を引いた。また、1948(昭和23)年の嘉手納村成立にともない、北谷村から嘉手納村に編成された野里(字の一部)や、屋良でも6月カシチーのころ綱引きを行った。ウマチーやカシチーのように年中の折目を定日とする綱引きは、折目の名称にちなんでウマチージナ(綱)、カシチージナなどと呼ばれる(平敷、1990: 76)。現在の北谷町では、旧暦6月14日に綱を引く字砂辺の6月ウマチージナと、13年に一度の寅年に北谷三ヵ(北谷・伝道・玉代勢)で大綱を引く北谷三ヵ村大綱引き(ウーンナ)が行われている。本章では戦前の各字で行われていた、あるいは現在も行われている綱引きについて、調査データに基づき、①綱引きの期日、②綱の材料と綱の形態、③備え・示威行為、④衣装、⑤綱の引き方、⑥双分組織、⑦祭和儀礼の7項目に整理した。1996(平成8)年は、字砂辺の6月ウマチージナを見学したほか、旧字下勢頭・平安山・桑江の四ヵ字で戦前の綱引きについて聞き取り調査を行い、1997(平成9)年には、かつての北谷村の一字であった野里の6月カシチージナの見学をはじめ、戦前の北谷・伝道・玉代勢の各字で行っていた毎年の綱引きについて聞き取り調査を行った。なお、綱の輸の部分については、字あるいは伝承者によって名称に違いがある(例えば砂辺ではカニチ、桑江ではカナチなどのように)が、ここではIカニチjに統一した。2.各字の概況【砂辺】砂辺は北谷町の北西に位置している。西は東シナ海、東には丘陵(クシムイ)がせまっている。砂辺集落も戦後の一時期米軍によって集落の全域が接収されたが、1954(昭和29)年に返還された。返還後、集落は戦前の集落に近い形で再建されたが、埋立や住宅の増加により、景観がだいぶ変化した。そ乙で、昭和20年頃の景観を図3-2に示した。綱引きには集落の中央を走る道を境界にして、メンダカリの雄綱とイリンダカリの雌網に分かれて綱を引いた。-137ー

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