北谷町の綱引き
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7.綱の処理儀礼綱を引き終えた後の綱を処理する特別な儀礼には、①特定の場所に綱を放置する形式、②海や川に綱の一部を流す形式、③綱の一部などを焼く形式、④綱の一部を焼いてから川に流す形式、の四形式がある(平敷、1990: 103)。北谷三ヵ村大綱引きで行われるカニチ焼きの儀礼は、④の形式に類するようであるが、北谷三ヵ村大綱引きでのカニチ焼きは、綱の一部やカニチそれ自体を切り取って焼くのではなく、雌雄のメンバーらによって、あらかじめ準備されたワラ束を用いておこなわれる。戦前のカニチ焼きは、綱を引き終えた後に行うニーセーター(青年たち)の技(空手)が終わってから行った。カニチ焼きに使用するワラ束は、綱を引き終えたあと、カニチグチの側でつくり、それぞれに棒を差し込んで、その棒をもち、ワラ束に火をつけてぶつけあうものであった(崎原、1978: 82)。戦前の大綱引きは二日間にわたっておこなわれたが、6月25日の字北谷のンマイー(馬場)を主会場とする大綱引きでは、字北谷の男たちが雌雄のカニチグチ付近でワラ束に火を点け、ワラ束をぶつけ合った後、クシンダカリ(北谷のクシンダカリと玉代勢のイーンダカリ、伝道)は、北谷スーガー近くのローラ一橋の上からワラ束を用水路に投げいれたり(照屋正吉さん談)、屋号力一ガーヌイー近くのガジマルの木の下に火を消して放置したりした(11*1村新正さん談)。メ-135-写真2-174 力二チク"チへ進むメンダカリのワラ東(1998年)写真2-175 ワラ束のぶつけ合い4. 写真2-176 ンマアミシグムイへ向かうメンダカリの青年

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