北谷町の綱引き
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また、メンターパルに所在したウスクガーも、カンタヌカーと同様に遠い祖先たちが使用したカー。屋号川ヌ端(カーヌハタ)の西側に在ったスミムンガーは、メーグスクジマ(前城島)の人々や、Jf Iヌ端の家人らが糸の泥染めに使用したことから、その呼称がついた、という。さらに、戦前のノロ殿内南側の屋敷内に所在したニーガンガー(根神井)は、近代以前の北谷ノ口をはじめ、ムラの神役たちが斎戒体浴に使用したカーと伝えている。イナグガー(女井)については伝道のメーウガミを参照されたい。14時50分ころ長老山での祈願を終えた一行は、北谷グスクへと向かった。北谷グスク北谷グスクへ到着した一行は、グスク内の「殿J、「東リ御巌J、「グスク火ヌ神J、「西御獄」の順序で祈願を行った。拝みに際しては、これまでの供物に加え、旧字から9合の米が供えられた。ところで、「殿J、「東リ御獄J、「西御巌Jは、戦後米軍キャンプ瑞慶覧内の長老山に遷座されていたが、1993年12月25日に北谷グスク内に再度選してまつられた。その際には、北谷グスク西端丘陵部の「西御巌J入口南側に所在する「グスク火の神」も、郷友会の基金で建立された。戦前のグスク火の神は、現在の火の神より少し南側に下った所に在ったという(末吉清信さん談)。写真2ー150前城島御風水神写真2ー151力一(井戸)合相所写真6-152 クヮーデイーサー(竜宮神)現在の殿は、北谷グスク三の郭、南西側に位置する。北谷グスク内の殿について『琉球国由来記』巻十四(1713)は、次のように記す。-126-

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