北谷町の綱引き
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綱のカヌチ根軸米軍キャンプ瑞慶覧のフェンス沿い(国道58号線側)に、人知れず設置されている石碑が綱のカヌチ根軸である。この拝所もマタジと同様に、知念清子さんの教えにより、ノ口殿内と郷友会によって建立された。石碑には「綱のカヌチ根割IJの銘のほかに「昭和六十三年九月吉田辰年建立字北谷字民一同」の陰刻も確認される。昭和63年の建立以来、北谷ノ口殿内では、毎年の旧暦6月24日には、写真2-148 綱のカヌチ根軸(1988年建立)この綱のカヌチ根軸において綱引きの御願を行うようになった。現在の石碑が立つこのー帯は、かつてウククヌモーグヮーと呼ばれる百坪ほどの広場で、字の人々が稲干しゃ、ウージンガラ(サトウキビの搾りガラ)を干す場所として利用したほか、戦前の三ヵ村大綱引きをはじめ、旧暦6月25日の毎年の綱引きには、このウククヌモーグヮーに設置されていた目印の石を地点にカニチ棒を貫き、雌雄の綱を連結させたという(仲村新正さん談)。長老山綱のカヌチ根軸での祈願を終えた一行は、14時10分頃にキャンフ。瑞慶覧内の長老山へ到着した。長老山について『北谷町史』第三巻は、「沖縄にはじめて臨済宗妙心寺を伝えた北谷長老(南陽紹弘禅師)をはじめ、樹昌院歴代の住職を葬った墓所Jと記している。現在の長老山には、戦後、米軍用地として集落を接収された旧字北谷のカー神をはじめ、旧字伝道や玉代勢の拝所が各字毎に合間されている。長老山に到着した一行は、まず北谷長老の墓所と伝えられる場所を拝み(ここでは、線香・クパンチンは6組)、次いで前城島御風水神、その後で戦前の北谷集落内に点在したカンタヌカ一、ウスクガ一、スミムンガ一、根神ガー、イナグガー(女井は伝道に所在した)を澗るカー(井戸)合間所を拝み、さらにクヮーデイーサー(竜宮神、クヮーデイーサーの樹の下に把られていたためそう呼ぶ)を拝んだ。戦前の北谷集落内に点在したカーについて、北谷ノ口殿内では次のように伝える。東表原に所在したカンタヌカーは、北谷村の始祖(ハダカ世)が使用したカー。写真2-149 北谷長老での祈願-125-

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