北谷町の綱引き
124/234

シチーウユミと大綱引きの成功祈願などである。ところで、かつての北谷・玉代勢・伝道の三ヵ字は、集落の立地が接近していただけではなく、祭記的にもつながりがあった。たとえば、現在のメーウガミは、字単位での拝みとなっているが、戦前の三ヵ村大綱引きに際しては、北谷ノロをはじめ玉代勢・伝道の神役たちが綱引き前日の6月24日にはそろってタキでの祈願を行った(U'北谷町史』第三巻、1994 : 424)。また、『琉球国由来記』巻十四(1713、以下由来記とする)の記録からは、由来記編纂当時北谷ノロが北谷村と玉代勢村の二ヵ村を管轄し、稲穂祭や稲収穫祭を執りおこなっていたことがわかる。さらに、伝道村からはンマヌチナトゥイ(馬の手綱取り)、玉代勢村からはニブトゥイ(柄杓取り)と呼ばれる男性神役が選出され、ノロ司祭の5月ウマチーや、6月ウマチーには北谷グスク内のf殿Jへ随行した、という伝承もある(末吉文さん談)。北谷三ヵ字の拝所については、由来記の亙崇所の項に、北谷村「ヨシノ巌J(神名、テンゴノ御イベ)・「城内安室崎之巌J(神名、イシラゴノ御イベ)、前城村に「北谷亙火神Jが記載され、年中祭組の項には、北谷村・玉代勢村に「北谷城内之殿Jが記載されている。これらの御裁や殿は、現在の北谷グスク内に所在する「東リ御獄j、f西御巌J、f殿Jに該当するものと思われ、前城村の「北谷亙火神jは、現在、北谷ノロ殿内にまつられている。また、田代安定が明治時代に調査した北谷間切の拝所に関する記録には、北谷村に「東リ城御巌J、Iイリ城御巌J、「ノロ社J、玉代勢村に「長老前御巌J、伝道村に「山ガマ御巌jなどの聖地が記されている(U'北谷町史』第二巻、1986: 76)。以下、平成10年8月16日(J日暦6月25日)に行われた大綱引きに関連する祭記儀礼や、北谷ノロ殿内をはじめ、三ヵ字の各家庭で行われた6月カシチーウユミ、綱引き直後の網の処理儀礼などについて観察記録を中心に、聞き取り調査で得られた戦前の態様も加えながら紹介したい。なお、三ヵ字の拝所については、1995年に北谷町文化財調査報告書第15集『北谷町の拝所』に報告した内容に加筆して紹介した。(1)大綱引きまでの拝み(1998年)①採木の祈願(新暦7月28日)雌雄の綱を連結するカニチ棒には、松の木が用いられる。そのカニチ棒の用材となるリュウキュウマツの伐採が、北谷町字北上の山中(旧字北谷郷友会員所有)で7月28日(新暦)に行われた。採木は、北谷三ヵ字(北谷・伝道・玉代勢)大綱引き実行委員会カニチ棒専門部会のメンバーを中心に午前10時頃からおこなわれた。伐採に際しては、伐採される松の木のシー(木の精)の触りなどが伐採者に及ばぬように、三ヵ字を代表して-119-

元のページ  ../index.html#124

このブックを見る