北谷町の綱引き
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6.祭誕儀礼寅年ごとの旧暦6月25日(以下断りが無い限り旧暦である)に行われる北谷三ヵ村大綱引き(ウーンナ)は、北谷三ヵと呼ばれる旧字北谷・玉代勢・伝道の三ヵ字が13年に一度合同で行うマールジナ(まわり綱)である。戦前の北谷三ヵでは、農作物の豊穣やムラ人の無病息災などの願いを込め、初日の25日には字北谷のンマイー(馬場)で大綱を引き、翌26日には字玉代勢のナカミチ(中道)で大綱を引いた。沖縄本島のマールジナには、数年に一度網を引くムラや、北谷三ヵのように特定の干支の年にあわせて綱を引くムラがある。たとえば、南風原町宇津嘉山では7年、あるいは13年ごとに大綱曳きが行われたり、記念すべきことがあるときに綱曳きを行ったりする(/i'津嘉山大綱曳き.!l1992 : 29)。また、糸満市字大里の6月カシチー綱は5年マール、大里村字大里の6月26日の綱引きは、13年マールで卯年に行われる(平敷、1990: 89)。13年に一度の寅年に行われる北谷三ヵ村大綱引きや、糸満市字大里(6月25日)、大里村字大里のマールジナ(6月26日)は、いずれも6月25日のカシチー(各家庭でもち米を蒸して強飯をつくり神仏に供える折目)前後を綱引きの定日とするものであるが、南風原町宇津嘉山の大綱曳きの場合、6月15日のウマチーから18日頃までに日を選んで綱を引く。しかし、津嘉山でも例年の綱引きは、6月25日のカシチー翌日におとなわれるアミシの御願(沖縄本島南部地域に多くみられ、ムラの神女たちが拝所を回り雨乞いの祈願を行う)に綱引きを行い、大綱を曳く年には綱曳き当日に日を繰り上げて、アミシの御願をおこなう。年中の折目としての6月カシチーや、それと結びっく綱引きについて平敷令治は、稲穂祭の物忌みがはれ、川の水で諜をする年浴(/i'琉球国由来記.!l1713年記載)の行事が、1735年(尚敬王23)に6月25日と定められ、近代以降はこの年浴にかえて6月カシチーと呼ばれるようになった、という。また「伊波普猷がく南島の稲作儀礼について>で明らかにしたように、年浴は本来稲作事始めの儀礼であった。田ごしらえに必要な水が豊富に得られる事を願う節目、それが年浴であったJと述べたうえで、その頃に行われる綱引きには、稲作に必要な「水Jをモチーフとする儀礼的意味が内包されている、という(平敷、1990: 78)。ところで、今回の北谷町綱引き調査で私に与えられたテーマは「祭施儀礼Jと「綱の処理儀礼」である。つまり、大綱引きに関連して行われる祈願や、年中の折目として行うカシチ一行事。そして、綱を引き終えた直後に行う『カニチ焼きJなどの儀礼について、観察し記録することである。1998 (平成10)年の北谷三ヵ村大綱引きに関連する祭租儀礼は、①カニチ棒の用材となる松の木の伐採祈願、②完成した大綱の浄めと大綱引き成功祈願、③大綱引きに先立つておこなわれた各字ごとのメーウガミ(前拝み)、④大綱引き当日の北谷ノロ殿内でのカ-118-

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