北谷町の綱引き
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裏方:部長1入、総勢2人の男性からなる。衣装:部長1入、総勢6人の女性からなる。会計:男性1人である。書記:男性1人である。③ 双分組織戦後の北谷三ヵ村大綱引きは、雌綱のメンダカリと雄綱のクシンダカリに分かれ網を引く。メンダカリは、字北谷のメンダカリと字玉代勢で編成され、クシンダカリは、字北谷のクシンダカリと字伝道で分けられている。しかし、戦前の大綱引きは現在と組の分け方が異なっていた。『北谷町史民俗上JJ(1992: 63)によると、「伝道はクシンダカリ側に入り、玉代勢はイリグミがメンダカリ側、アガリグミがクシンダカリ側に加わって引いたJとある。戦前、大綱引きの練習や網打ちなども、メンダカリは組合内の広場で、クシンダカリは北玉国民学校で別々に練習をしたという。④協力者イ.戦前字北谷・伝道・玉代勢の話によると、字砂辺から「弾き(サンシン)Jと演舞指導をしてもらった。ほかにも字玉代勢では、屋宜仲山からも弾きと演舞指導をしてもらったそうである。ロ.戦後大綱製作に関して、宜野湾市大山から指導員を6、7人依頼して、大綱を打つときの指揮や、カニチグチ作り、網の仕上げなど、細かいところまで指導してもらった。本番のカニチ貫きの時も、綱の連結などをずっと側で指導していた。参考文献北谷町史編集委員会編『北谷町史民俗上』北谷町役場、19920-116-

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