北谷町の綱引き
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5.組織はじめに字北谷・伝道・玉代勢は「北谷三ヵJと呼ばれるが、その働きは戦前戦後を通して大綱引き(ウーンナ)だけではなく、「葬式のガン、ヌンドゥンチや樹昌院の運営jにも費用をナナクミワイ(7組割り)で負担している「連合組織jである(Ii'北谷町史民俗上』1992 : 63)。ナナクミワイのその割合は、北谷が4、玉代勢が2、伝道が1で、大綱引きにおける旗頭もナナクミワイの通り、北谷から4本、玉代勢から2本、伝道から1本ずつ大綱引きに出す。北谷三ヵで行われる大綱引きは、字北谷が運営の中心であるので、今回の大綱引きの「北谷三ヵ村大綱引き実行委員会Jの委員長も旧字北谷郷友会会長がなった。三ヵ村合同の組織には、北谷三ヵ村大綱引き実行委員会と専門部会がある。北谷三ヵ村大綱引き実行委員会は、委員長1人・副委員長2人・委員・事務局長から組織され、委員長と副委員長は、三ヵ村それぞれの郷友会会長が担当する。委員も三ヵ村それぞれから同じ人数出るがその選出法は、前回の実行委員を経験した人や、戦前の大綱引きを経験した人などが選ばれた。また、年齢も40代から70代くらいと幅広く選出される。さらに専門部会の委員は、三ヵ村の実行委員会で選ばれ、そこで承認を得て活動が始まる。(1)戦前① 北谷・伝道・玉代勢の三ヵ村イ.老人の役割:50'-"'60代の年輩女性が、チヂンを打った。ロ.婦人の役割:字北谷の青年部女性部は、シタクの衣装の準備や着付けを行った。ハ.青年の役割:ソーグは字伝道・玉代勢では10代半ば以上の男性が担当した。またテークチリは、三ヵ村とも青年男性が受け持つた。ニ.子供の役割:ポラチリは、字北谷と伝道では、尋常小学校の男女、字玉代勢では、就学前の子供から尋常小学校の児童によって行われた。(2)戦後1998年の大綱引きはおもに次の組織によって運営された。①郷友会イ.老人会:大綱引き当日、女性はミチジユネーでチヂンを打ち、男性はケガ人が-111-

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