北谷町の綱引き
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けてあった縄を綱との連結部に結び、固定した。この一連の行為は、今回綱作りの指導をいただいた宜野湾市大山の方々に補佐していただいた。(4)引く回数『北谷町史第三巻』では、毎年の綱引きは2回、大綱引き(ウーンナ)は1回引いたと記述されているが、聞き取り調査においてははっきりしない。両方とも1回ずつ、または両方とも2回ずつ引いたという回答に分かれるのだが、どちらの回答にしても暖昧である。毎年の綱引きと混同していてはっきり覚えていないというのが大方の回答である。1回引いたという回答については、大綱引きは「ユーリカター」といって、誰でも自由に参加できたので、見物人の多いクシンダカリがいつも勝っていたという。見物人はカニチグチを越えては参加せず、那覇方面から来る人よりは嘉手納方面から来る人の方が多かったので、クシンダカリが優位だったということである。2回引いたという回答については、いつも引き分けだ、った覚えがあり、2回引いて自然に引き分けにしたという。戦後は1974(昭和49)年・1986(昭和61)とも、大綱引き定日の6月25日に近い日曜日を利用し、その日1日で終了しているが、綱を引く回数は1回であった。大綱引き復活の際は、戦前の記憶を呼び戻しながら復活させ、l回引くことになったはずである。実際、1974(昭和49)年には戦前の経験者が豊富であり、今よりも記憶が鮮明であったはずなので、大綱引きは1回引くものであったのではないだろうか。今回は、実行委員会において引く回数を2聞に増やしてはどうかという意見が取り上げられた。本来2日間おこなわれた大綱引きも今では1日で終了させているし、また、前回1回きりでは物足りなかったという意見もあり、協議の結果、勝敗に関係なくそのままの位置で2回引くことに決まったのである。参考文献小野重朗、『十五夜綱引きの研究』、慶友社、1972.北谷町史編集委員会編、『北谷町史第三巻民俗上』、北谷町役場‘1992.『北谷町史第三巻民俗下』、北谷町役場、1994.真栄域兼良、『北谷村史』、北谷村役場、1961金城至盛、『字誌北谷』、1986.崎原恒新、『北谷三ヵ村大綱引きJ、『まつり31.11、まつり同好会、1978.パンフレット、『北谷三ヵ村大綱引き』、北谷三ヵ村大綱引き実行委員会、1986.平敷令治、『沖縄の祭把と信何』、第一書房、1990.『沖縄の綱引き(1)J、『沖縄国際大学文学部紀要社会学科篇JI4ー1、沖縄国際大学、1976.「沖縄の綱引き(2)J、『沖縄国際大学文学部紀要社会学科篇.116-1・2、沖縄国際大学、1978.古家信平、『火と水の民俗文化誌』、吉川弘文館、1994.沖縄大百科事典刊行事務局、『沖縄大百科事典』、沖縄タイムス社、1983.-110-

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