北谷町の綱引き
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せの記録写真を見ると、雄雌とも素手で綱を担ぎ、しかも雌綱は頭の上まで担ぎ上げており、当時の勇壮さや歴史的な趣を感じさせている(写真2-132・133)。写真2-132 雄綱(金良宗吉氏撮影)写真2-133 雌綱(金良宗吉氏撮影)② 力二チ貫き戦前からカニチ棒を貫くときは、連結させる際にカニチ棒と綱とが大きく跳びはねる恐れがあるので、カニチグチ付近には女性や子どもたちは近づくことはできなかったという。また、綱を引く前で気持ちも高ぶっているのであらゆる危険を伴い、戦前からカニチ棒を貫く役は、力持ちで俊敏、しかも権力のある青年でなければならなかったという。カニチを貫く人を「力ニチチジャーjといい、今回のカニチチジャーを以下に列記する。字北谷:比嘉正・安里順一・新城次美・新城清・田場雅秀・津嘉山務字玉代勢:仲本朝永字伝道:伊樟毅写真2-134 力二チ連結部A写真2-135 力ニチ連結部B今回は、綱がカニチ貫きの態勢に整うとステージ前に用意されたカニチ棒を肩に担いでカニチグチまで運んで来た。カニチ棒を貫く際のあらゆる危険を想定して、カニチグチ付近では保安係が厳重に警戒し、緊張感に包まれた。カニチ貫きの青年らは、肩に担いできたカニチ棒を一旦腰に抱え直すと、慎重に、そして一気にカニチの連結部に貫いた。綱の反対側には、貫いたカニチ棒を受け取る役目がいて、あらかじめカニチ棒の両端に取り付-109-

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