北谷町の綱引き
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れ8人ずつ配置した。1974 (昭和49)年・1986(昭和61)年には、シタクはミチジュネーに並列していることが記録されており、1938(昭和13)年にシタクをした伊礼孫ーさんによると、ミチジュネーで相手とすれ違うときは、シタクはにらみ合うように教えられたという。また、1974 (昭和49)年にウミナイビ役をした伊樟康雄さんによると、シタクは前だけを向いて絶対によそ見をしたり動いたりしてはいけないと教えられたという。ミチジュネーでの順序は、1974(昭和49)年は、旗頭→シタク→ブラチリ→チンク→踊りという順で、1986(昭和61)年には、旗頭→ブラチリ太鼓→シタク→踊りの順で並列している。今回シタクは、ミチジュネーには並列していない。口.示威行為ガーラシは、これから戦うということを表現するため、綱を引く前にカニチグチまで登場してくるのだという。北谷のガーラシは特別に示威を表現する行為はない。1974(昭和49)年・1986(昭和61)年のガーラシの役員をした字北谷の仲村新正さんによると、綱を引く前にカニチグチで顔を合わせるのは戦いを意味するためであるという。旗頭のガーエーの後、両シタクはいったんカニチグチまで登場し、顔をあわせてから、綱の半分の所まで後退する。そこで、按司と供は冠をはずして覆面のようなもので顔を隠し、ウミナイビは白衣装に白鉢巻を巻いて武装し、再度前進してくるのだという(写真2-128・129)。本来ウミナイビはドゥジンにカカン姿であったという。また、シタクは退場する際、決して後ろを振り向かず、役目が終わると綱引きには参加せず、そのまま会場から姿を消すのだという。1986(昭和61)にはシタクが向かい合っている聞に、綱を引く合写真2-1281989年按司の覆面姿(本町企画課提供)写真2-129 1989年ウミナイピの白装束(本町企画課提供)図の旗が振り下ろされ、一斉に綱を引き始めると、シタクは静かに退場していった。今回のガーラシは、按司とその供は左の腰に万をさしており、按司は右手で軍配を前にかざしている。ウミナイビらは、左手でなぎなたを立てている。この形態は、前回と比較-106-

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