北谷町の綱引き
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12 : 00 ウミナイピの供完了ウミナイビ役ら保健センター出発12 : 11 ウミナイビ役らノロ殿内へ到着12 : 25 ノロ殿内にてガーラシの拝み12 : 28 稲嶺盛秀さん・末子さん・仲村渠敏子さんらノロ殿内到着12 : 30 足袋・下着(橋枠・ステテコ)着替え12 : 33 ノロ殿内保管の衣装を取り出し、按司役ら着付け開始12 : 45 ウミナイビ役ら着付け開始12 : 50 按司役ら着付け終了13 : 00 ウミナイビ役ら着付け終了13 : 15 シタクら4人揃ってノロ殿内出発、会場入り(それぞれの控えテントへ)③ ガーラシイ.シタクの登場今回はミチジュネーの途中、突然の雨で中断した。しばらくして、旗頭のガーエーで再開すると、シタクはそれぞれ網の最後尾で待機した。順序として、旗頭のガーエ一、ガーラシ、綱寄せと続いた。1974(昭和49)年・1986(昭和61)年の両年は、網を寄せてカニチをあわせてからシタクが登場しているが、今回はシタクが退場してから綱を寄せた。戦前のシタクの登場の仕方については、聞き取り調査において二通りの回答がある.1926 (大正15)年の大綱引き(ウーンナ)を記憶しているという字北谷の津嘉山篤信さんや1938(昭和13)年の大綱引きを記憶しているという嘗山苗盛さんによると、竹で編んだチニブ(チヌブともいう)というものにシタクを乗せて、青年4人で担いで登場させたという。しかし、字北谷の栄田安貞さんによるとシタクは綱の上に乗って登場したといい、カニチの部分にシタクを乗せ、男も女も総出で網を担いでカニチグチまで寄せていく様相は実に見事であったという。戦後復活の際の記録を見ると、「ツナをひく前にガーラシがある。くガーラシ>というのは竹で編んだくソージ>(チニブと同じとみてよい)に横棒二本とおして青年四人でかつぐ。これがそれぞれのツナに一組ずつあり、この上にシタクがのる。J(崎原、1978: 82)とある。1974(昭和49)年のガーラシについては、北玉小学校からのミチジュネーもあり、便利さに配慮したのか、飾り付けたトラックの荷台にシタクを乗せている。1986 (昭和61)年もほぼ同様で、軽トラックの荷台にシタクを乗せた。今回は戦前の様相に戻そうという意見を取り入れ、シタクを乗せる板の台を製作し、担ぎ手をつけることにした。製作については、ガーラシ専門部会の金城至佑さんが設計し、北前在住の元大工嘗真嗣松さんに製作依頼した。担ぎ手については、全体的な参加者の減少で人員をまかなうことが困難であったので、北谷町商工会青年部に協力依頼し、16人の担ぎ手をそれぞ-105-

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