北谷町の綱引き
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1998 (平成10)年の衣装とは異なっていることがわかる。1974(昭和49)年は、按司もウミナイビも衣装で供との区別をしているが、1986(昭和61)年・1998(平成10)年のウミナイビの衣装は両者まったく同じで供との区別がない。今回は、1986(昭和61)年の大綱引きにノロ殿内に保管した衣装を着用した。衣装に関しての詳細は、「第3節衣装Jを参考にしていただきたい。ロ.管理状態現在、シタクの衣装や小道具はすべて北谷ノロ殿内に保管されており、大綱引き(ウーンナ)以外に使用することはない。ノロ殿内ではこれを神聖なものとして扱い、持ち出すことも禁じている。北谷ノロ殿内の末吉文さんによると、本来ノロ殿内は拝みごとに関わる家で、年中行事などに関してはムラヤー(村屋)が拠点であった。しかし第二次大戦でムラヤーが完全に消滅してしまったので、戦後はノロ殿内で管理しているという。1974 (昭和49)年の大綱引き復活に際しては、今回の衣装係をつとめた字北谷の仲村渠敏子さんが当時の衣装も担当し、シタクの衣装や小道具などをすべて揃えた。当時、仲村渠さんと諸活動を共にしていた字北前の稲嶺ヨシさんに協力を依頼したという01986(昭和61)年にも仲村渠さんが中心となって、シタクの衣装は再度新調された。仲村渠さんによると、シタクの衣装を新調するときには「ウガンサギJといって、ノロ殿内でその報告の拝みをしてから新旧の交代をするという。また、ウガンサギされた古い衣装は、ノロ殿内でしか後利用できないのだという。今回は、保管状態の良かった前回の衣装を使用することになり、仲村渠さんはサイズの確認のため本番2日前にノロ殿内家人にその申し入れをした。しかし、たとえ今回の配役でも大綱引き以外に袖をとおしてはいけないということであったので採寸することは出来ず、確認だけして陰干しをしたという。その際にもノロ殿内家人による拝みをおこなってから、衣装が取り出された。ウミナイビの白装束が短めであったのと、中襟に黄ばみがあったので、この二つだけは今回新調された。それぞれの肌着や足袋は個人用として用意し、保管はしない。当日、出番の終わったシタクはその足でノロ殿内に戻り、無事に役を果たしたことを報告して着替えた。終了後の衣装は、係の責任のもとクリーニングに出され、また12年間ノロ殿内に保管される。ハ.化粧・着付け北谷ノロ殿内の末吉文さんによると、当日、シタクはノロ殿内で準備を整えて出発する習わしになっているというが、これも本来ならムラヤーで準備をして出発させるべきであるという。実際に戦前は、シタクの準備はムラヤーでおこなわれ、ムラアシビなどで手慣れた人たちが着付けなどをしてあげたという(仲村渠敏子さん談)01974 (昭和49)年の大綱引き復活から、着付け等は嶺舞踊研究所の稲嶺盛秀さん、稲嶺末子さんに依頼している。今回は、北谷町保健相談センターで化粧をしてからノロ殿内に移動した。主に下地化粧は盛秀さんがおこない、眉や目、口紅など、仕上げの化粧は末子さんがおこなった。-103-

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