北谷町の綱引き
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4.綱の引き方(1)シタクのガーラシ①構成員と役柄イ.シタクとその役柄ミチジュネーから旗頭のガーエーと続き、シタクのガーラシが始まる。北谷ウーンナのガーラシには、クシンダカリ(後村渠)からは按司とその供、メンダカリ(前村渠)からはウミナイビ(王女または姉妹)とその供に扮した4人のシタク(支度)が登場する。シタクの役柄は一般的に歴史上の人物といわれており、各地でその配役はさまざまであるが、北谷ウーンナではなぜ按司とウミナイビなのだろうか。聞き取り調査においては、網の雌雄を男女に見立てて子孫繁栄を祈願するのと同様、シタクの役柄にも男女を象徴させているというのが大方の回答であるが、字北谷の津嘉山フジさんは、シタクは綱の神であり、ウミキ(男性神役)ウミナイ(女性神役)を意味しているという。確かに按司は雄綱側から、ウミナイビは雌綱側から登場し、両者とも男女が雌雄と関連している。一方、字北谷の伊礼孫ーさんからは具体的な由来を聞くことができた。伊礼さんは、1938(昭和13)年のシタクをつとめた方で、当時、字北谷では有名なムヌシリ(物知り)であった(故)山川直普さんから聞いた話だという。「むかし、宜野湾按司の家来であった悪謝名と呼ばれる謝名親方が、伊佐浜で月見の宴を催したいといい、伊佐村の村頭に酌をする若い娘を連れてくるように申しつけた。村頭は、19歳と17歳になる自分の娘二人を連れて行き、酌をさせた。謝名親方は、二人の娘を大変気に入って連れて帰ると言い出し、村頭がそれを拒むと即座に村頭の首を切った。目の前で父親を殺された姉妹は仇討ちを決意し、今帰仁城で武芸の修行を積み、3年後見事に仇を討った。jという姉妹の仇討ちが北谷ウーンナのガーラシの由来であるというものだが、なぜ宜野湾間切の話が北谷のウーンナに結びつくのかはわからない。これは「姉妹敵討jという組踊の内容にもなっている。配役については、その役に最もふさわしい20歳前後の青年が選出された。役員たちによって選考され、断ることは出来なかったという。シタクには、すべて男性が扮することになっているが、戦前はどんな行事にも女性が大舞台に上がることなどあり得なかったのでそれは当然のことだったという。また、当日までその配役は関係者以外に知らされることはなかっ@た。選考基準として戦前は、家柄が良く、頭脳明断で容姿・体格の優れた者といわれ、家族にとっても大変名誉な役だったという。特に顔立ちが重要視されたので、本人にとっても自慢であったらしい。しかし一方では、「シタクの役をした人は早死するJとか『シタクは綱の神なので、神になるということは死ぬことJなどという噂もあり、恐れられたこともあったというが、実際にそういうことはまったくなかったという。-99-

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