北谷町の綱引き
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13年マールの大綱引き(ウーンナ)は、旧暦の6月25日には北谷で行い、翌日の26日には玉代勢で引いた。綱引きは正午からスネーがあり、その後に引いた。綱引きについての記述として『北谷町史第四巻資料編新聞資料.!I(1985: 68)ではI北谷間切の綱曳jが1902(明治35)年8月3日の琉球新報で報じられ当時の様子がうかがえる。北谷間切の綱曳は既報の如く客月三十一日執行せり近郷近在の男女老幼、無慮一万数千人同村の馬場に集まり、非常の雑踏を極め嘉手納警察署より巡査一名出張非常を警戒し斯くて綱曳は同日午後五時噴終了、南方の勝利に帰したり。文翌一日には同間切玉代勢村の綱曳にて、北谷岡村の人民等は前日の盛装にて、加勢をなし、午後五時頃引揚後一同隊を組んで村中を練り廻はりたりその年は寅年にあたり、大勢の人々で綱引きが行われたことや、翌日には玉代勢で行った様子がうかがえる。『北谷町史第四巻資料編新聞資料.!I(1985: 306)は1914(大正3)年8月17日にも行われた様子が記されている。十三年廻の催し十三年廻りの北谷大綱と云ふのが非常な人気となりて昨日北谷村の綱曳は近来稀なる盛観の裡に催された。此目、朝来炎暑焼くが如く寒暖計は華氏の九十二度内外を示したれども、北谷綱の人気は此の炎暑に怯むべくもあらず、那覇・首里よりの見物人は朝まだきより馬車を連ねて北谷街道に数珠繋ぎとなり、往き通ふもの引きも切らざる程であった。綱曳の場所は北谷馬場で、北谷字の入口よりは馬車も倖も一歩も進むことが出来ない。蟻の足だに通らない雑踏の中を分け入りて馬場に出づると、馬場の両側は数町に渡り桟敷がズラリと並んで早や人を以て満されて居る。A未曾有の盛況一(中略)一勝敗を決すー戦前は昭和元年にあたる1926(大正15)年の寅年にも行われた。その後、1938(昭和13)年にも行われたが、このときは15年戦争初期ということもあり、非常時であることから大幅に簡略化されたということであった。戦後は36年ぶりに1974(昭和49)年に復活し、その時は台風接近中で雨の中ハンビー飛行場で行っている。その後1986(昭和61)年に行っている。参考文献北谷町史編集委員会編、O"~t谷町史第四巻資料編新聞資料』、北谷町役場、1985.平敷令治、「沖縄の綱引(2)J、『沖縄国際大学文学部紀要社会学科篇J6 -1・2、1978.-2-

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