北谷町の自然・歴史・文化
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九一六年には県立農学校が国頭から移転してきて併置されます。ここに中頭における歴史の移り変わり経済・産業・教育・文化の中心地どLての北谷村が誕生するこどになります。②沖縄県営軽便鉄道嘉手納線県営軽便鉄道は一九一四年に開業して、沖縄戦直前の空襲で破壊されるまで重要な交通機関どして営業されていまLた。軽便鉄道には、嘉手納線・与那原線(一九一四年開業)-糸満線(一九二三年)の三つの路線、があリました。一九二一年に着工して翌年三月二八日に営業を開始Lました。全長がニニ・四五は川、て、総工費は約一O八万八千円。那覇の古波蔵駅を起点に与儀|安里嘉手納線は、内問l城間|牧港l大謝名l真志喜大山!北谷l桑江|平安山野国嘉手納の一回か所に駅ど停車場、が設けられていました。普段は機関車に客車を三両連結して四両編成て、製糖時期には貨車二(〉三両を客車の最後尾に連結させて運行しました。一日の運行回数は、営業開始当初は八往復でし--e、、.千/、,両日γ昭和になってから一二往復へど増えまLた。運賃について、正確な金額はわか北谷;那覇問、か三二銭だったどいLはんがっこっわれています。利用客は、ほとんどが那覇の中学校や師範学校・女学校ど嘉手納の農りませんが一九三五年頃は桑江1那覇聞が三三銭、学校へ通う学生たちだったどいいます。ω嘉手納製糖工場と北谷一九一O年、当時の県炉事・奈良原繁を中心どして沖縄製糖株式会社(資本金二O66 平安山駅嘉手納駅(沖縄戦で鉄道もろとも壊滅)

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