北谷町の自然・歴史・文化
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北谷村出身者の海外移民は、一九O四年を鳴矢どしますが、その時はハワイ一二人、メキシコ二一人、フィリピン群島二人のあわせて一七人でした。一九三五(昭和一O)年の沖縄県の統計(「市町村別行先国別海外症留者数」)よリますど、北谷村の海外移民はフィリピンご士一二人、ハワイ三O四人、ペル1ニ七人、ブラジル一六一人、その他二六人の計一O九四人で、沖縄県ては一四番目に位置します。フィリピンては麻を栽培し、ハワイてはサトウキビ耕地の労働どして、ペルlやブラジルでは穀類の栽培に従事しました。彼らは、稼いだお金のほとんどを実家に送金しました。さて、海外移民どどもに県外出稼ぎ(本土出稼ぎ)も明治三0年代から始まり、第一次世界大戦後の恐慌あたリから急激に増大していきました。一九三五年の沖縄県の統計から沖縄県人が多く在住している都道府県をみますど、大阪府が最も多く全体の約四八いわを占めています。以下は東京・神奈川・兵庫・鹿児島・福岡の順どなっています。北谷村についてみますど、やはリ大阪が最も多く一ニ六一人て北谷村出身者の県外在住者総数七七五(男性三五二、女性四二三)人の約四七ずいを占めています。以下、神奈川一三人、東京七一人、静岡四一人、和歌山・兵庫に各三二人、福岡二六人、京都一六人、愛知一五人、奈良一O人、三重・岡山に各八人、滋賀六人、山梨・宮崎に各五人、富山・鹿児島に久ロ三人、北海道・埼玉・栃木・岐阜・広島・熊本・長近代のようす崎に各二人、宮城・岩手・群馬・千葉・茨城・佐賀に各一人の三O都道府県にも及ん県外出稼ぎは、ほどんどが都市部や工業地帯に集中しています。せいLぽフせ5じゃ〈ねん仁よLAd-7ピうリよ(が季節的な出稼ぎて、製糸・紡績などの若年女子労働力、か過半数以上を占め、男性若でいます。その多く年労働者は建設部門へ低賃金労働力どして送り込まれまLた。北ちゃた谷んそ村んのか海いが外い移いみ民ん者しゃ国名人数フィリピン331 ノ、ワイ304 ペル272 フ'ラジル161 モの他26 2その他(316)• ママ63

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