北谷町の自然・歴史・文化
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になリました。(文化一三)年のイギリスのパジル・ホール艦隊や、一八五一八一六歴史の移り変わり三(嘉、水六)年のアメリカのペリ1艦隊などの話は有名ですね。さて、イギリスやオランダ、ポルトガルなどは、一五001一六OO年ごろには、インドやインド、ネシアまでやってきて、植民地にしていました。そこから中国や日本へも航海して貿易していました。どころが、日本てはヨーロッパ人はキリスト教を広めようどしているどの理由て、これらの国々どのつきあいを禁止してしまいます。外どいう鎖国政策をどった国どつきあわず、外国の船や外国人を日本の中に入れない、のです。幕府に命じられて沖縄ても鎖国をLていまLた。しかL、中国ピオランダだけは長崎ての貿易が許しされていまLた。また沖縄は中国ど昔から貿易などつきあいがあリましたので、モれも許されていました。鎖国の時代はニOO年以よも続きましたカく一八00年代になるど、ヨlロyパやアメリカは、鎖国をやめさせ、貿易をLようど船を派遣するようになってきたのです。幕府は、外国船が来たら攻撃しろどか、乗組員をどらえんどか、命令を出していました。しかL、沖縄は中国どつきあいがあリ、どにか日本から離れているこどもあって、くよ陸させて、必要ならば水や食料を提供して、早く帰ってもらうようにしていました。沖縄にやってきた多くのヨーロッパ人は、沖縄人はどても親切だど帰国後に報告していますが、それは見かけのこどで、本当は一日も早く帰って欲しかったのてす。インディアン・オlク号の場合は、漂着した翌日、首里の王府から役人たちが派遣されてきて、船や乗組員の扱いについて話し合いをLました。役人の中には、中国語あにやせいはができる人や英語が話せる安仁屋政輔がいまLた。安仁屋は、どこの国の船か、どんな人たちが乗っているのか、またどうLてここに来たのか、などど聞きまLた。船長54 一七一六年に沖縄にやってきたイギリス艦隊の隊長。約五0日間の滞在で、沖縄の印象を、清潔な島、礼儀正しい人々と記録に残しています。沖縄からイギリスに帰る逮中フランスの英雄ナポレオンに会い、沖縄は武器のない平和な島と話したので、武器のない島があるのかとナポレオンがたいそう驚いたということです。一八五三1五四年にかけて五度も沖縄にやってきたアメリカ艦隊の提督。一八五三年、日本に行く途中沖縄に立ち寄ったのが最初です。一八五四年、日本で日米和親条約を結び、日本の鎖国をやめさせました。その帰りに沖縄でも琉米条約を結んでいます。(一七九二i?)首里王府の役人。たくさんの仕事をしていますか、なかでも沖縄にやってきた外国人から英語を学び、通訳として活躍したことが知られています。中国語の通訳は以前からいましたが、英語の通訳は安仁匡が最初でした。

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