北谷町の自然・歴史・文化
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どを処理しますoA7の総務課どにた仕事です。②蔵当方は、税金である米や雑穀を集めたリ、王府に収めたりします。今の税務課どにています。③砂糖当方は、砂糖の製造や樽詰め、斤量の検査など砂糖についての仕事です。④札改方どは、毎年行われる人口調査で、今の戸籍係です。⑤耕作当方は、農業の係て、「札改」の係で、禁じられているキリスト教の信者がいないか‘どうか調べます。田畑の手⑥ 山当方は農、目ネ山;云1ーやνノI-LI l手つ入まれ公有林の入れなどを指導・監督しました。今の農政課です。つまり植林や伐採を管理しました。⑦横目方は、警察ど裁判所のような仕事をしていました。じどうだい番所には多くの人たちが働いていました。一番偉い役人は、地頭代どいいました。しゆっHHやこオオウヅチハエウッチニンウyチA7の町長のようなものです。その下に首里大屋子、さらに大抜、南風捉、西捉などがうば(ワぷじピういました。彼らは間切の行政を行うよ級役人て、捌理ど呼ばれました。他に夫地頭、モ7こ75(あたいムラウyチ惣耕作当などがいました。久ロ村の村屋には、番所から派遣されて村の行政をみる村捉などが置かれました。近世のようす惣耕作当(各村)耕作当間切組織図土穴地頭大提地頭代||首里大屋子|南風提丁文子多数L他に馬番など酉提市閣凶国てくこ村提||文子・村佐事惣山当(各村)山当獄2のこ拝の所他を管問玉里t刀しゃ、村豊々作のを御ゥ神に祈るノロも役人てLた。女性がつく神職て親から娘や姪などにつ、かれまLた。北谷には、北谷ノ口、平安山ノロ、野里ノロ、野国ノ口、嘉手納ノロの五人がいました。地頭-間切や村を領有する役人。首里・那覇の士族がなりました。近世には領地に赴任して住むことはなく、領地の行政・管理は地元の役人である地頭代にまかせていました。間切の地頭は総地頭、村の地頭は脇地頭といいました。地頭代:方言ではジトゥデ|。今の町長のようなもので、間切で一番位が高く、親雲上(ぺ|チン)の位を授けられました。地方役人の最高位ですが、身分はあくまで百姓。北谷の地頭代は伝道大屋子(後に津嘉山大屋子)でした。夫地頭・間切の上級役人。捌理より上位、地頭代よりは下位にいます。北谷の夫地頭は四人。伝道・津嘉山・吉昧・伊礼大屋子で、このうち一人が地頭代となりました。文子:方言ではティクヴ。番所や村屋に勤める下組役人。今の書記のさ三U3もの。間切の役人は、文子から始まって順に村提、酉躍、南風健、大提と昇進し、首里大屋子となり、さらに夫地頭や惣耕作当などになり、最高位の地頭代となります。推薦で出世します。49

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