北谷町の自然・歴史・文化
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歴史の移り変わり又きたたんてだの北谷の太陽(按司)が愛し子を生みたまいて今日の良い日に今日の輝く日に太郎子西殿どいわれる、これも北谷ぐすくの城主を歌ったおもろでしょう。その按おもひくわはなしよわらへ司に後継ぎの子供が生まれたので、「世はちょわれ」又けいわのよかるひにけおのきやがるひにまでも元気であリますように、司.園、ン、」刊川ど祝福しています。ど、その子がこの世にいついつ、えタ¥¥ £ ムギ《ノ¥)7¥)川-CCJ同1ijバふ多ぞ,pいま、Jあ??ムλ人44Jめ、定ii '-・・白fyロー-ヲレhぐれヤ人件北谷を歌ったおもろの一節まさりきょ・・勝り子。優れた人。「きょ」は「『との変化したもの。なしよわちヘ・:・生みたまいて。「なし」は子供を生む意。「よわちへ」は敬う気持ちをあらわします。きたたんのてだ・・北谷の太陽。北谷の按司のこと。「てだ」は沖縄方言で太陽をいい、按司や王などをうやまって「てだ」とよびました。おもひくわ:・思い子。いとしい子。かわいい子。44

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