北谷町の自然・歴史・文化
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北谷を歌った古謡|『おもろさうし』古い歌を集めた本に『いおもろさうL』どいうのがあリます。全部てニ二冊あリますが、多くは今から三三O年ほど前に編集したものて、古琉球の時代を歌ったものです。その歌をたんにどいい、私たちの北谷を歌ったおもろは、第一五巻の一一「7 「おもろ」らそへ・きたたん・よんたもぎのおもろ御さうし」どいうどころにあります。私たちの北谷は、ここにあるように、古くは「きたたん」どいっていました。このキタタンがキチャタン←チチャ夕、/←チャタンどなったものです。古い外交文書をあつれうだいはヲあんめた『歴代宝案』には、一四四一年の文書に漢字て「吉丹坦」(キタタン)、一四九年の文書に「紀闇丹」(キチャタン)どあって、この北谷の読み方の変化を伝えています。さて『おもろさうL』は、ぜんぷで一五五四首あリますが、北谷を歌ったおもろは巻一五を中心に一六首あります。その中からいくつかの北谷に関するおもろをみて、古い時代の私たちの北谷を考えてみましょう。「ごはおもろのはじまり、「又」は音楽的なくリかえしを意味する記号て、段タスク・古琉球の時代落どして示した箇所は久ロ節にくりかえします。〔訳〕くわいにおてやちょも桑江に居てさえおしあげおてやちょも押し上げ(杜)に居てさえ薩摩:現在の鹿児島県。島津氏の領地ヱ」っこ。ナJr+l一、二世紀から薩摩入りま古琉球:・一での、ほほ日本史の中世に相当する時代を、沖縄の歴史の区分では「古琉球」といいます。歴代宝案:琉球王国時代の外斐・貿易に関する文章をあつめたもの。くわい:;北谷町粟江の古い書き方。「絵図郷村帳』(一六四九年)も「くわい」とあります。おてやちょも・居てさえも。「おて」は「居りて」、「やちょも」は「さえも」で意味を強めます。おしあげ:北谷町粟江にあったと思われる杜。「おしあげ」という社名はほぼ全琉にあります。神様に品物をさしあげる意。41

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