北谷町の自然・歴史・文化
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る「てだ」や「世の主」などど称されているこどは、地方どしてはかなリ有力な按司歴史の移り変わりてあったこどがうかがえます。一九八三(昭和五八)年に北谷町教育委員会によって、北谷城跡の発掘調査が開始されて以来、数年にわたって継続的に発掘調査が実施され、かつての北谷城の歴史が明らかにされつつあリます。以下モれらの発掘調査の成果について紹介します。一の軒、北谷城が立地する台地は東から国道側の西に向かって、二の郭、三の郭、四の郭ど次第に広がリをもった四つの郭から成リ立っています。一の郭の面積は約八00平方灯、二の郭の面積約一、五OO平方灯、三の郭の面積約三、二OO平方灯、四の郭の面積約九、六OO平方灯の広さであリます。に4かん御内原どいって国王どその家族を世話をする女官一の郭は沖縄のグスクては普通、たちの生活の場ども考えられておリますが、北谷城ては、建物跡などは発見されていません。ニの郭には正殿に相当する殿舎跡の礎石をもっ建物跡が発見されておリ、三の郭はその前面広場の南東には、殿があリます。三の郭から四の郭東南部て出入口付近には城門跡、か発見されました。四の郭にも崖添いに石垣が張リ巡らされていたようてあリます。この地域はまだほどんど調査はなされていませんが、最も広い郭なので色々の機能の施設があったど考えられます。かつゆヲピヲ・5北谷城からの出土遺物どしては、グスク土器・青磁・白磁・褐粕陶器・カムィ焼・さんL瓦質土器・鉄製品・銅製品・古銭などの人工遺物ど食料残津ど見られる貝殻、牛骨、魚骨などが出土しています。青磁は中国産のものど韓国の高麗産のものがあります。青磁の器種は碗・盤・皿・38 古代中国では、都市や城を土壁で回ってあり、その囲いのことを郭といいます。外側の固いのある町や村のこと。沖縄では、城の外側は石垣の郭で張り巡らされています。/~ ,. h司言食/¥,AFλノちんdべ物残りかすのことで、グスつなどの遺跡から出土する食料残浮は、貝殻や魚の骨、イノシシの骨など腐らないものだけが残ります。

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