北谷町の自然・歴史・文化
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めるこどができない農民が多くなって、間切財政は借金て補うほどの苦しい状況でした。一八九九(明治三二)年の「沖縄県間切島規程」て法人化した間切は、学校、道路などの建設費用を負担するこどになリ、間切財政はますます苦しくなって間切財産を売って財政運営をするようになりました。一九O八年の市町村制施行て沖縄県の町村も国税および県税の付加税ど戸数割の特別税が町村氏からどれるようになりました。この税制度は町村財政が不足した場合に町村氏に税金をかけるしくみて税率も決められていない不備な制度てした。一九二O(大正九)年に他府県ど同仁市町村制どなって税制など財政のしくみも全固なみになりました。しかし「ソテツ地獄」どいわれる不況時代どなって沖縄の市町村財政は依然どして苦Lい状態であリまLた。当時の北谷村の財政状況は表1、2 cl) 歳入歳出て示されるように、歳入のほどんどが間切税(村税)固からど財産収入で、の支出金はわずか三γいくらいでしかあリません。歳出は教育費ど役場費が大半を占め土木費、勧業費は‘きわめて少ない額どなっています。表3は昭和時代における北谷村の税金収入の移り変わりてす。米軍統治下の村財政財政のようす米軍統治当初の一年間は無通貨時代で、経済活動のない沖縄社会でした。一九四六北谷村政は、イ也グ〉年四月になって通貨が許され、県民の経済活動がはじまりました。市町村より一年近くもおくれて一九四七年二月に発足しましたが、村のほどんどが軍用地て村民の経済活動もほどんどない状況でした。村財政は表4、表5の一九四八年1 qOO~ 1 q 15年度)富十i役場費|会議費|土木費|教育費l衛生費|勧業費|諸負担|雑支出i積立金l皇室霊|その他1900(日月33)13.364 2.000 24 8.512 362 260 623 499 748 ※ 336 1901 ( 34) 17.025 2.391 19 348 9.724 549 177 784 171 2.088 ※ 774 1902( 35) 12.082 2.815 18 5.049 624 251 592 908 1.104 ※ 721 1903( 36) 13.199 2.558 18 7.493 586 184 599 111 925 ※ 725 1904( 37) 13.020 2.386 18 20 7.276 536 1 14 395 ※ 1.515 ※ 760 1905( 38) 7.749 1.982 18 3.468 517 283 510 ※ 262 ※ 1906( 39) 8.944 2.294 18 80 3.824 565 282 722 ※ 418 ※ 741 1907( 40) 11.227 2.467 18 80 4.533 565 332 1.474 ※ 139 ※ 1.619 1908( 41) 1909( 42) 1910( 43) 22.826 5.610 54 7.020 528 169 1.293 44 465 2.210 350 191 1 ( 44) 17.741 4.025 43 3.190 7091 507 452 156 112 2.165 1912(大1) 19.814 3.988 63 7.567 753 171 1.660 145 1.962 3.435 70 1913( 2 ) 24.226 3.605 81 14.416 744 210 2.262 538 2.370 1914( 3 ) 19.121 3.663 50 8.023 746 303 164 . 503 2.648 3.021 1915( 4 ) 15.597 3.225 46 7.635 116 250 203 422 3.532 168 表2.歳出予算(北谷村、資料)Ir沖縄県統計書』、「間切(島)歳出予算J、「町村歳出予算(決算)Jによる。229

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