北谷町の自然・歴史・文化
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調査では九、九七四人の人ロどなリました。北谷村の人ロは、一九五三年には一一、O八一人どなり一九五九年までは一万人前後で推移しまLたが、九、五四五人ピ減少しました。この八・七かれの大幅減少は、一九五六年桃原ニ区ど一区の一部が越来村になって北谷村氏が越来村氏になったこどによるものです。また、一九六O年になって当時の琉球政府の移民政策で北谷村からも外国や八重山への移民、移住者が多く出たこども原因どなっています。その後一九七三年を除いて毎年人ロ・は増加しています。そのわけは、一九六八年に現在の栄ロ、桑江地域の山地開発によって居住地域が拡大し、一九七一年の砂辺、浜川地先の公有水面の埋立て、玉上、上勢頭の軍用地の返還、さらに、北谷のハンビl地域、伊平、桑江のメイモスカラーの返還で土地区画整理事業が進められ、これらの地域に、勤労者住宅、町営住宅、県営団地などが建設されたからです。今後も桑江地先の埋立地の利用や桑江、伊平の軍用地の返還で人口増加が予想されます。一九七三年度の減少は、本土への集団就職による流失が原因どなったど思われます。人口の変化225

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