北谷町の自然・歴史・文化
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間良の仮役所を村内大毛に移し、二週間後の二月一九日に木造トタン葺きの庁舎を桃政治の移り変わり原に造って戦後初めての北谷村役所ができ上がりました。また村内に警察派出所、売庖、診療所、郵便局などの公共施設も設置され、図4に示されるような役所のしくみも整えられて村の行政が開始されました。戦後は仁めての市町村長選挙が一九四八年二月一日に、議会議員の選挙が二月八日に実施されましたが、北谷村は村民の移動が伝くれていたため、他の市町村よリ半年以上もおく・れて一O月一O日に村長選挙、一O月一七日に村会議員の選挙がおこなわれ、戦後はじめての公選による村長、議員て村政が行われるようになりました。この時期の北谷村は、嘉手納米空軍基地て南北に分かれていて村の行政運営はたいへんむずかしく、一月の村議会て嘉手納の分村が決議され、一二月四日に嘉手納村が誕生Lました。一九四八年七月に市i町;村Z市lj~市町村は公共どいう法律が軍政府指令て公布され、法人どLての組織、機能、行政区および行政運営の基準など市町村行政のしくみができまLたoしかし、財政が貧しくて住民の要求に応える能力はありませんでした。〈んピうゼい群島政府は、市町村税条例、市町村財政調整公付金などの法律を制定して市町村の財政強化を図リましたが、当時の沖縄の経済は貧弱で市町村の財政を強化できる状況ではありませんでした。一九五二年四月一日に発足した琉球政府立法院議会は、市町村自治法、市町村財政法、市町村税法、市町村交付税法などの市町村自治体の関連法律を整備制定して、市町村行政および財政の安定ど運営の強化を推L進めまLた。また、世の中が落ち着くにつれて産業がおこって県民の仕事もふえ、経済も発展してきて市町村の財政もだん図4行政機構(一九四七年度)I ;fす長|i助4史|労産社務業会課課事つ公業一一司名名犬一売区名l吉長)一一一一名名ー商務課宝石-財務課(ニ名)俊7・給仕(四名)-庶務課(四名)※運転手(五名218 1957年頃の北谷村役場

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