北谷町の自然・歴史・文化
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の設置、③沖縄県に対する政府の対策を総合的に推Lすすめる沖縄開発庁の設置、④政治の移り変わり米軍が使用している軍用地及び軍用施設を引き続き米軍に提供するための特別措置などです。振興開発のための特別措置どして、一0年間を一期間どする沖縄経済社会振興開発計画をつくって、格差の是正、経済の自立化を目指してきましたが、復帰してニO余年が過ぎても未だ目的は達成できないて現在三期目の計画が実施されています。行政の移り変わり沖縄て行政のしくみができた尚真王時代のはじめごろは、沖縄本島が七つの行政区にわけられ、(村)一六六O年ご北谷間切は浦添代官所の下におかれていましたが、ろの改正て、四つの行政区に代わリ、中頭代官所の下におかれました。この時代の間切行政は、王府から任命された地頭代(町村長)捌理(職員)たちが王府からの命令、指示て運営していまLた。任命された間切役人の主な仕事は、農民から年貢(税金一)を取リ納めるこどで、農民に対して土地の割当てをし、生産を高めるための指示監督などが主なものでした。この時代の地方行政は、図3のようなしくみて、この制度は薩摩支配時代をへて明治政府の沖縄県設置後も長くつづきました。一九二O(大正九)年になって沖縄県もようやく全固なみの地方行政制度どなリまLた。この時代には第一次世界大戦が起こリ、世界的経済混乱も重なって、沖縄県は「ソテツ地獄」ど呼ばれ、死人が出るほどの不況時代て、行政団体もなんの対策もできない貧困な状況でした。戦時下の地方行政は、政府の総動員体制の下で兵隊を召集して戦場に送り出すなど図3地方行政のしくみ-札改方ー小横目津横目遠見番ー蔵当方T砂糖当方一一丁勘定構桝取王一一番ip--4一工TIU河野村ーT総山当山当皇切↑↓「総耕作耕作当夫地頭出|首制山(庶務に当る)1首里大屋子一T大徒一文子丁南風捻7T西錠一グ「l!合併、、斗リョ-戸I】F孟Jふ世FJP12L高同四品、216

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