北谷町の自然・歴史・文化
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沖縄県は日本からきリ離なされて、引き続き米国の統治の下に置かれるこどになりま政治の移り変わりした。米軍統治下の行政のしくみ各地からの代表を石川市に集め、お5一五人の委員で沖一九四五年八月、米軍政府はEわいいんかい縄諮詞委員会を設置しまLた。軍政府は諮詞委員会の意見を聞いて、Lうやこづしん諮詞委員長であった志喜屋孝信を知事に任命しました。沖縄民政府を設立し、八重山、奄美大島の四民政府の代表一ひがLOヲへい時琉球諮詞委員会を設置して、委員長に比嘉秀平を任命Lました。軍政府は諮詞委員一九五O年六月に沖縄本島、宮古、一人で臨会の意見を得て同年九月に四群島の知事および群島議員の選挙を実施L、一一月四日たい句たつ伝らとに公選知事による四群島政府が発足しました。沖縄群島知事に当選した平良辰雄知事は祖国復帰運動を積極的に押し進め県民の復帰運動は大きく燃え上がりまLた。しかし、一九五一年四月一目、米国民政府指令によって臨時中央政府が設立され、四群島政府は半年たらずでなくなりました。臨時中央政府の主席には、諮詞委員会委いずみ申ヲへいリっぼヲいん員長の比嘉秀平、副主席は泉有平が任命され、他の九人の委員が立法院の参議に任命されました。立法院の議長は副主席が兼ねまLた。翌一九五二年四月一目、司法、立法、行政の三機関を備えた琉球政府が設立され、行政主席ど主席裁判官は、民政副長官の任命で、立法院議員は、リゅう5ゅうLようてんが選挙て選ばれました。琉球政府は、「琉球章典」どいう府令によって、八選挙区から二二人米国民政府が許す範囲内の自治は認められるようになりましたが最終権限は米国民政府が握って214 沖縄諮詞委員会士川喜屋孝信:「戦後のようす」mH頁の注志ι会P限刷。比嘉秀平二九O一;一九五六、琉球政府初代行政主席。読谷村大木の出身。沖縄民政府の官房長や臨時琉球諮詞委員会の委員長などを歴任しました。平良辰雄一八九二1一九六九):沖縄群島政府知事、沖縄社会大衆党委員長、琉球政府大衆金融公庫総裁、大宜味村津浪の出身。戦前は、沖縄県庁の八重山支庁長や大政翼賛会県支部壮年団長や県農業会会長などをつとめました。

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