北谷町の自然・歴史・文化
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英語教育と生産科教育英語教育戦後、特筆される教育課程では、小学校における英語教育があリます。一、二年生は週一時間程度、三、四年生は週二時間程度、五、六年生は週三時間程度の授業が実施されました。低学年は聞き方・話L方、中学年は書き方、高学年は読み方を中心どした授業の内容であリました。英語教育の実施は、米軍政府の占領行政だけではなく、将来の統治政策上にも重要な意味を持ち、今後も継続していこうどの意図があったど考えられていました。しかLながら、教育関係者はこれに反対し、一九五九年に初等学校の教育課程から英語教育は削除されました。生産科教育内4生産科教育も特筆される教育課程の一って、特に農業は重視されました。従って、農業実習地の開墾や作物の植え付けなどは、児童生徒の大きな義務の一ってLた。北谷初等学校の一九四七年五月一一一一日に五年以上の児童が実習「自社民」によるど、地開墾作業を実施Lたこどや同年五月三O日に農業開墾作業を行ったど記録されてい戦後のようすます。一九四七年一O月の同日誌には、甘藷四五O斤が初収穫され、職員および七、八年児童に五斤ずつ配給したこどが記録されています。また、一九五二年二月頃に、村役所職員が五、六年生に殺虫剤の散布について、指導したこども記録されている。北玉小学校の沿革誌では、一九四七年度の総括に、農園開墾のための児童・職員のよ神蝿歴史11.-科学習風景(テント小屋)1946年の教科書.111,'・-」四199

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