北谷町の自然・歴史・文化
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198 教育の移り変わり戦後のようす敗戦直後の教育一九四五年四月、米軍は「=、ニッヅ布告(権限の停止)」を発布L、五きなわLじゅんかいのすべての行政権が停止されまLた。同年八月には沖縄諮詞会が設立され、同年一月日本帝国政府に、沖縄本島及び周辺諸島(宮古・八重山諸島を除く)の全学校を統括する教育部が文教部に改められまLた。一九四六年四月、沖縄諮詞会にかわって沖縄民政府が置かれ、同年四月に新Lい沖縄教育の指針どして「初等教育令」「同施行規則」が公布されまLた。戦後沖縄において、統一的な学校制度どして一九四六年四月から、初等学校が八年、高等学校を四年どする「八・四制」を実施L、本格的に戦後教育が再開されまLた。が〈せいかいか〈ょう一九四八年四月、「学制改革要綱」に基づき、義務教育どなった初等学校六年、中等学校三年、高等学校三年どする「六・三・三」制へど学制が改定・施行され、男女共学も実施されました。新制高等学校は、うかい5んピヲ教育の機会均等によリ各地域に分散配置されました。すでに設置されていた、四年制の高等学校を新制高等学校に移行L、沖縄戦のために廃校になった実業学校の第三学年までの修了者も編入の対象どなリまLた。じゅんきょまた、新制高等学校では、文部省の新制高等学校教育課程に準拠した「単位制」が実施されまLた。

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