北谷町の自然・歴史・文化
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餅・豆腐の加工食品の蒸し器などに使われています。もちろん、野菜・果物の運搬や、産業の移り変わり建築の際の土砂運搬用に便宜的に利用されるこどもあリます。桃原区の商庖通リには、いまも竹製品を庖頭販売している庖舗が一件あリます。ここて参考に、近代の統計資料から北谷の「諸職」に携わった職人数を紹介しましょ(明治二九)年には、鍛冶エ四人・桶職一五人・石工六人・砂糖樽製造7 O 一八九六職六人がいました。さらに前年の統計には、おもに女性の仕事てある織物職(綿・麻・芭蕉布)は一、四O二人て、専業どする人が二三人も数えられています。竹細工職を副業、または専業をあらわす数値が示されてはいません。これらの数字や職名からも、いかに技術職を伝統工芸・伝統産業に結びつけるかは、個人の考え方、地場産業への位置づけ、その後継者育成が重要な課題になるかがわかリます。現在も地元て継承される竹細工の製品が、私たちの北谷町の風土ど歴史に育まれた伝統工芸品どして、地域の産業・経済発展のためにその振興が図られるかは、そこで生活する町民個々の願いど行政側の努力にかかっています。南風原町にある沖縄県伝統工芸指導所ては、染織・木漆エの技術指導が行われ、後継者を育成しています。186 近代の統計資料・:一八七九(明治一一一)年の廃藩置県によって沖縄県となった年から一九四五(昭和二O)年の期間を沖縄歴史の時代区分のうえで近代、または近代沖縄といいます。沖縄県が一八八三(明治一六)年から一九四O(昭和一五)年までに刊行した『沖縄県統計書』に記した統計。行政、教育、産業、警察など多くの統計資料が収録されています。沖縄県伝統工芸指導所・伝統工芸産業の技術者養成、技術者研修・指導、技術情報の提供、試験研究を業務とする沖縄県設置の機関。染織・漆器にかかわる指導・研究開発が実施されています。一九七四(昭和四九)年に南風原町に設置。陶器にかかわる指導・研究は、那覇市にあります沖縄県工業試験場で行われています。

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