北谷町の自然・歴史・文化
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伝統工芸伝統産業としてLっ5びんがた沖縄の観光物産の代表にあげられる漆器・紅型・織物・陶器類は、「伝統工芸品」じゅ〈れんLiつこうどして県内の観光産業振興のもど、事業所・熟練職工の努力てその発展「伝統産業」が期待されています。ただL、三味線、金細工、錫細工などは琉球芸能の文化・歴史的な発展過程のなかで受け継がれています。そのほかの職は、伝統的技術の重要性、生計の手段どいう個人の責任感や少ない需要価値に支えられているようてす。現在、那覇・首里以外の地域にのこる職名・工芸どしては、織物・染色、蕉布、陶磁器、瓦をは仁め、木(または竹)細工、石細工、鍛冶細工、皮(または藁)細工、船造リなどがあリます。蕉布・織物類は宮古島、久米島、大宜味村、読八重山諸島、谷村、南風原町、本部町。陶磁器類は読谷村、豊見城村、沖縄市、国頭村、宮古・八重山両島など。瓦造リは与那原町、皮・藁細工は今帰仁村、宮古など。船造は糸満市を中心に伝統産業どして定着しておリます。商業経済の中心地である那覇市には陶器、漆器、紅型、織物などにかかわる工場、研究所、物産館、庖舗など数多くあリます。それだけ県内外への販売需要が大きい工芸品どいえます。竹細工の製品は民芸品のひどつどして、数少ない職人によって個人経営の雑貨庖、伝統工芸観光物産庖の庖先に並べられているにすぎません。数量もそう多くはなく、需要もか八重山、名護市、佐敷Lせい町、北谷町などてす。当然に地元の特産品どして、その地域の市井に並べられていまなり低いようてす。商品価値をもたせて生産している地域は、一六O九(腫長一四・万暦三七)年から、明治政府による琉球処分、いわゆる廃藩置県が行われた一八七九(明治三乙年の聞をいいます。沖縄歴史の時代区分のうえでは、近世琉球という場合もあります。織物・染色・・地方における織物職は、首里王府時代に貢租(税金・人頭税)対象であった宮古布・八重山布・久米島布を除き、明治・大正時代に零細な家内手工業のひとつとして営まれていました。地織機で、主に自家用のものが製作されましたが、一九OO(明治三三)年に琉球織物組合が設置されたことを契機に、商品用が県外市場にでまわるようになりました。戦前まで、那覇市東町にはヌヌマチ(布市)とよばれた古着販売の露庖の市井も設けられていました。183

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