北谷町の自然・歴史・文化
206/290

178 (物の値段)の推移を示Lたものです。いうまでもないこどですが、嘉手納は一九四産業の移り変わりノ¥(昭和二三)年に分村するまで北谷村に属していまLた。嘉手納の物価を他の地域ど比較してみますど、だいたいにおいて割高だどいう特徴があります。それぞれの物価を見てみますど、小麦(表3lA)は明治ニ0年代には値段の安い地域だったのですが、大正時代に入るど高い地域になっています。北谷は小麦の値段が那覇よリも高い地域だったのです。大豆(表3lB)は、一九一六年ど一九二四年以外は県内でも最も高い地域ですが、北谷が中頭郡でも四番目に大豆の生産が多い地域である、どいうように大豆の物価ど生産どの聞に遣いがみられます。醤油(表3ーc)は、大正時代の前半は最も高い地域でしたが、後半は醤油の品質の遣いから安い地域に変わっています。味噌(表3ーD)は、首里や那覇の都市部よりはどんどが毎年高くなっています。一九二二年以降は沖縄本島内でも最も高い地域でした。薪(表3ーE)も、首里や那覇の都市部よリも田舎である北谷(嘉手納)が高くなっているこどは注目されます。炭(表3ーF)は、嘉手納の値段の欠落が多いので他の地域ど比べるのは容易ではあリませんが、表の数値で見る限リでは県内で最も高い地域の一つになっています。このように見てきますど、くりか、えしになリますが戦前の北谷は県内でも物価が高い地域だったのです。

元のページ  ../index.html#206

このブックを見る