北谷町の自然・歴史・文化
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沖縄の酒には、米を原料どする泡盛ピサツマイモを原料どする焼酎がありまLた。泡盛には首里王府に納める御用酒ど営業用酒がありまLたが、それらは許Lをえて造っていてしかも税金(免許税)が課せられていまLた。焼酎は自家用・営業用どもに税はかからず、庶民的なものどLてつくられました。明治末期には、泡盛の自家醸造が禁止されたこどなどから、地方では焼酎が主どなリました。中頭郡や国頭郡ては泡盛よりも焼酎が盛んにつくられ、そのほどんどが自家醸造で一戸あたり一斗1一斗五升程度の生産でした。北谷については統計資料がないので知るこどはできませんが、古老らによるど自家用の焼酎をつくっていたどいいます。また、桑江にある屋取では首里出身の人が泡盛をつくっていたようです。② 北谷の職人表2は明治一0年代から大正一O年頃にかけて北谷の職業別統計をまどめたものです。一八九六(明治二九)年当時の北谷の職人は桶職が多く、ついて大工、石工、砂糖樽製造、鍛冶工、綿打職の順どなっています。綿打職の存在は、先にみた中頭で唯一の職エが北谷にいたこどや綿織物が盛んだったこどなどどの関連が考えられます。その後、砂糖樽製造や綿打職はしだいに姿を消してしまいました。石エや大工、桶職(竹細工)は戦後も活躍しています。物の値段の移り変わり商工業表3のAiFは、沖縄の主な地域〔嘉手納、首里、那覇、糸満、与那原、名護、平良、石垣〕における一八九O(明治二三)年から一九二五(大正一回)年までの物価175

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