北谷町の自然・歴史・文化
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172 売られていました。産業の移り変わり③ 質屋干ばつ、火事、病気などで急な出費があった時は、那覇や首里の質屋から高利なお金を借リるこどがあリました。そこで北谷では一九二三(大正一ニ)年に平安山ヌ上にあった役場のどなリに公設質屋を聞いて低利でお金を貸し出し、那覇や首里まで行く不便の解消を図リまLた。それでも、最初の頃は住民の利用が少なかったので、役場の職員の家族を質屋の前に並ばせたりLて、その活用を促LZLた。その効果があって、多くの住民が利用するようになったのですが、沖縄戦でその役割を終えました。工業のようす① 工業生産戦前における沖縄の工業生産の中心は、砂糖、酒類、織物、パナマ帽でした。中頭郡では砂糖がどぴぬけ、それについて織物、酒類、パナマ帽どなっています。中頭郡の特徴どして、織物が酒類ど逆転しているこどがあげられます。北谷の数値はあリませんが、中頭郡ど同じ傾向を示Lていたど考えられます。a 製糖業先にみたように沖縄の工業生産は、砂糖を中心に展開しています。一戸当たリの砂糖の生産額を見てみますど、一九一O(明治四三)年ど一九三五(昭和一O)年のニ五年の聞に県で五二円からニO三円に増えて三・九MLの上昇どなっています。中頭郡で四・六がわ(四五円からニO七円)、北谷では七・七がれ(ニ七円からニO八円)

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