北谷町の自然・歴史・文化
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かます(むしろ製の袋)に入れたリ、もっこに布を敷い行商をします。塩は、てんびんぽヲて入れ天秤棒でかついて売り歩きました。戦後、姿を消L1Lた。はまやピリ〈わえ(イユウヤl):・・:漁業を行っていた浜屋取(桑江)の女性たちが魚をタラかみせいピLもせいピピうぱる上勢頭や下勢頭、桃原などて売るどさA'魚売リイに入れ頭上に乗せて売リ歩きました。には、芋や野菜などど物々交換をするこどもあったようてす。魚の種類は、』こlパイ(はた)、タマン(はまふえふさ)、イェlイユ(あいご)、カタカシ(おじさん)など近海もので、現在よく見られるマグロやカジキなど沖合や遠洋ものはほどんどなかったどいいます。A'肉売リ(シシウヤl)豚肉を「アカパク1」ど呼ばれる赤い箱に入れて売リ歩きまLた。嘉手納、読谷からやって来ましたが、北谷ては人Hカマlスlu名)どいう人が行商Lていたようてす。A'薬売リ(クスイウヤ1)嘉手納の人て各家に薬を置いて、使用Lた分を足していく「富山の薬売リ」のやり方で売リ歩きました。-石油売り(シチタンユ1ウヤl)-aa--那覇あたリから来て、天秤棒て石油缶をかっいで売り歩きました。石油どいっしょに線香も売っていまLた。つばさあぷbくL・下勢頭の女性て椿油・マッチ・櫛・糸・-小間物売リ(グマムングヮlウヤl)石鹸などを売ったリ、卵ど物々交換をLました。交換で手にいれた卵を那覇の市場て売り、その代金で小間物を仕入れして行商していたどいいます。A'竹製品売リ(パlキウヤl)桃原は竹の産地でしたので寵(パlキ)を作って商工業売り歩きました。それは「トlパルパlキ(桃原龍)」どいわれるぐらい中部一帯では有名でした。また、鍋のふた(カマンタ)は上勢頭で作られ、久ロ字て行商人・商品を持ち歩いて商売をする人のこと。もっこ・縄をあみ状に編んで四閣に綱をつけて、土などを運ぶ道具のこと。ごこでは、塩を入れて運ぶもの。天秤棒:両端に荷物をかけてかつぐのに使う棒の事。椿油:つはきの種からとった油で、頭髪用に使います。171

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