北谷町の自然・歴史・文化
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い客の奪い合いが行われ、たびたび噌一嘩沙汰になっ産業の移り変わりたようてす。北谷に自転車が入ったのは、はっきリLません。ただし、大正時代には役場・駐在・郵便局・医者などが自転車を持っていまLたが、一般には普及LていませんでLた。自転車が、一般に普及するのは戦後になってからです。また、北谷て初めて自動車を所有したのは北谷馬場の近(で開業していた医者、て、昭和の始め頃だったどいわれています。一般への自動車の普及は昭和四0年代に入ってからのこどですが、今では一家で二台どいうのも珍しい事ではなくなリましたc乗合パスは、最初に一九一七(大正六)年に那覇|名護問、て運行を開始します。(喜名)問、与那原泡瀬問、勝連!屋慶名金武の問て運行されまいて那覇読谷す(「中部の経済の中心地」を参照してください)0戦後の交通戦後のパス事業の始まリは、一九四七討さむわみんせい(昭和二二)年八月に沖縄民政府の直営の公のつ封リょうはしこのリあいに乗降用梯子を取り付けた乗合パスで、営パスでした。米国製トラック(二トン半)二五台しかあリませんでしたが、住民の足どして大いに役立ちました。(昭和自動車)パスペコ168 沖縄民政令一九四六(昭和二一)年四月、米国海軍軍政府の指令によって設立された、住民側の中央執行機関。志喜屋孝信が知事に任命され、総務部や工務部など一四の部で権成されていました。五O年二月の沖縄郡島政府設立で解消されました。

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