北谷町の自然・歴史・文化
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す。当然、北谷にも「黙認耕作地」があリ、最盛期の一九八O年には耕地面積のニニ・四ULを占めていまLた。このように祖国復帰前から米軍基地内にある自分の土地を、米軍の許可をもらって耕作Lなければならないどいう不自然な状態が当然であるかのように行われてきました。C農産物戦後の北谷の農業は、サトウキビ作を中心に豚や山羊、採卵鶏などの家畜を飼い、キビ畑の周辺や屋敷近くの小さい空地で自家消費用野菜を作るどいうのが一般的でした。戦前ど比べるど米を作らないのが大きく違うところです。また、昭和三0年代に入るど次第にサトキビ単一作農家、が、大幅に増えています。それは、一九六三年から翌年にかけて国際市場で砂糖価格が大きく上昇するこど、一九六五年に「沖縄産糖の政府買入れ特別措置法」が成立したこどなどによリます。これが、戦後のいわゆる「サトウキビ」ブームピ呼ばれるもので、沖縄の農業が「サトウキビ単一化」へど大きく転換を遂げた時期なのですが、北谷も例外ではあリませんでした。業農沖縄産糖買入れ特別措置法:・「沖縄産糖の糖価安定事業団による買入れ等に関する特別措置法」を略したもの。祖国復帰前、沖縄産糖の保護育成のために国が特別に配慮したもの。サトウキビ一単化:沖縄の農業がサトウキビに異常に偏っている経営の状態をいいます。161

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