北谷町の自然・歴史・文化
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ょ、7に、北谷の畑率が八(一九O三年)も増四Uhご九O一年)五一アいハから産業の移り変わりえているのです。C農産物沖縄の伝統的な農業形態は、主食であるサツマイモピ換金作物のサトウキビを中心にLて、自家消費用の大豆などの豆類や粟・麦などの雑穀類、それに豚・山羊などの家畜をうまく組み合わせたものです。米飯が主食どして日常的に食卓に乗るようになるのは戦後の、」どです。北谷の水田は、すでにみたように字北谷ど字屋良の二村落てはどんどを占め、沖縄て最も水田の少ない中頭郡ても二番目に少ない地域でした。なかで、昭和初期に稲の新品種台中六五号の導入ど二期作の普及、たんしゅヲ施肥量の急増などによって反収の上昇をみましたが、わずかながら水田が減るさらに化学肥料の期待Lたほどの効果もなく結局総生産量はほどんど伸びるこどなく推移しまLた。先に述べたように、北谷の畑作物はサツマイモどサトウキビが中心です。両者を合わせた作付率(全栽培面積に占める割合)をみますピ、一九O五(明治三八)年の七三・三Uわから一九三五(昭和一O)年には九七・ouhヘピ大幅に増えています。これは中頭郡の七五・八がわから六八・七がわへの低下、県の六一五一かれから六七いノいへのわずかな増加ど比べるど著しい特徴だどいえます。どころで、北谷が五二・七一かわから五七・この間のサツマイモの作付率をみますど、一一七七に少し伸びていますが、六がわから四一l'-、一セント1L中頭郡ては六県ては五一一アいから四五がノいハにいずれも低下しています。なかでも作付率が高かった中頭郡てもっとも大きく低下しているこどは注目されます。一方、サトウキビの作付158 台中六五号:イネの品種。戦前に台湾で品種支配によってできたイネで、反収が多くて、沖縄には一九二八(昭和三)年に導入され、全県的に広がりました。反収・・田や畑の一反(約九九02m)あたりの作物の収穫高。

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