北谷町の自然・歴史・文化
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156 ②戦後の農家のくらし産業の移り変わり戦後の北谷は、戦前の旧村落のほどんどが強制的な立ち退きが行われ米軍基地が存在しています。たどえば、上勢頭では一九四五(昭和二O)年四月一日の米軍の沖縄本島上陸ど同時にテント兵舎や臨時病院などが建設されまLた。屋敷は跡形もなく敷ならされ、畑はアスファルトで敷き詰められて道路どなって、畑どしては使用不能になリました。すでに本書の各所で繰リ返し述べられているように、北谷は軍用地が占める割合が高くて一九五二年には八八・七かわ、祖国復帰(一九七二年)五γ日一九九五年でも五六・七γ引を占めています。このように戦後の北谷の農業は、最悪な環境条件のもどにあリます。戦前には総世帯の八Oがし以上あった農家数が、戦後はニ九・九γい(一九六四年)←一ニ・一一アい一九九五年では、0・の時点で六(一九七一年)←四・五?N(一九七四年)ど急激に減リ続け、Oニドンいまで落ち込んでいるのです。詳しい事は、次の項に記Lてあリますので、そこを見ていただければわかりますが、戦後の北谷の農家は兼業農家。て、夫は農業外の仕事に就き、妻や老人が農業を行うどいう形態が典型的な姿なのです。農業のようす①戦前の農業a 農r.!:> 宅三総世帯数の中に占める農家数の動きをみますど、県全体では一九O四(明治三七)年以降は次第に低下しますが、不況期の一九ニニ(大正一、-.-'年以降は七O

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