北谷町の自然・歴史・文化
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Y』一ヲ動を村ど一体どなって地域ぐるみで取り組みました。昭和四0年代に入りますど永年の悲願であった祖国復帰が一九七二年に実現しまし-ょうらんぶつかじだいのため狂乱物価時代を迎えた、」一九七三年の第一次オイルショック(石油危機)た。どから、生活防衛のための学習会を重点的に行いました。昭和五0年代の国際婦人年には、平和・発展・平等の三つの目標に向かって努力をLました。国際化時代に対応した国際交流を図るこどをねらいどして、米国人の家庭訪問、英語教室、着物の気付け教室を聞いたり、文化面への取リ組みも活発に展開し-Lた。一九七五年、北谷村から北谷町に移行しましたので、北谷村婦人会も北谷町婦人会ど名称を変更しました。昭和六0年代には、婦人会活動が重視され、中央公民館に婦人会事務所が設置されました。これまでは各一O行政区にそれぞれ単位婦人会があリまLたが、連合組織が必要であるどの意見が強かったこどから、一九九一年に北谷町婦人連合会に改め、今日にいたっています。老人会の活動青年会の活動沖縄戦以前は三世代が同居していた時代て、老人の男はほどんど野良仕事をLて、女は家事手伝いや孫の子守役をしていたので、休む暇があリませんでした。老人会組織はなく、各自の趣味を生かした活動をしていました。第一次オイルショック:・一九七三(昭和四八)年にアラブ諸国が石油の原油価格を約四倍に引き上げたために世界的に不況になりました。沖縄でも石油、ガソリンの値上りやチリ紙を買占めるなどのパニックがおこりました。北谷町老人クラブ連合会の組織図宮城区老人クラブ砂辺区老人クラブ北前区老人クラブ字地原区老人クラブ北玉区老人クラブ謝苅区寿老人クラブ謝苅区曙老人クラブ桑江区老人クラブ栄巴区老人クラブ桃原区老人クラブ上勢区老人クラブ145

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