北谷町の自然・歴史・文化
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沖縄観に憤慨して暗殺を計画、はふ申ヲ伊波普猷の説得て思い止まった話は、正義感の強い伊くらしと文化礼肇の性格をよく表わLています。京都帝国大学卒業ど同時に沖縄県庁に勤めますが、翌年(一九二O)村内の有志に乞われて北谷村長選挙に出馬し当選Lます。村長時代こうせつLらやには村政改革に取り組み、産業組合や公設質屋の導入、教育問題、財政建て直しなどを断行LZLた。彼は村長職にあった三年間、て最初の年だけは給与を受け取りまLたが、残リの二年間は給与はもらわずにそれを村の財政にまわしまLた。せい申っかい村長を辞め那覇て弁護士事務所を開きます。翌年には政友会からの再三の出馬要請をけんせいかい拒んで、憲政会から衆議院選挙に立候補L1Lたが落選Lます。(どくに北谷村、たいリつ・でヲモヲ巻き込んだ対立抗争が激しくなリ村内で亀裂が生じました。地区宜野湾村、西原村)の村長や村会議員、教職員、資産家などをこの選挙戦ては中部一九二三年にの抗争の裏u 県政f首争1脳(白黒)」や警察のあからさまな選挙干渉もあリました。これ、が「シルlクルlの発端どなリました。伊JU】十4、、マペι'thv一九二八(昭和三)礼服姿の伊札肇立:年憲1の52衆記議(院民選政挙党にかliら立候補して初当選し、以後六回連続して当選Lます。磨z嵯さ一夫H九矢口三事Oが年団ー」'"ノ、人月をlこ差守l.31)屋ゃ待遇しているどLて先頭140 大昧久五郎〔一八七四1ワ〕・石川県出身。第二代の沖縄県知事ご九一四1二八年まで在任)。県会の議決を無視して、自分の考えを無理矢理に押し付けるなどしたことから、県民の反感を買って全居間的な排斥運動が起こりました。守麗磨瑳夫〔一八八九1?〕・熊本県出身。第一二代の沖縄県知事こ九二九1一二O年まで在任)。離島航路の改善や小学校教員の初任給引下、政府に対して産業助成金の援助継続と増額などを訴えました。県民を蔑視する傾向があったことや、同党(民政党)の伊礼肇らと折り合いが悪く、伊礼らによる知事排斥運動が起こりました。井野次郎〔一八七1一九五二〕:群馬県出身。第二二代の沖縄県知事(一九三01三五年まで在任)。「ソテツ地獄」と呼ばれた極度の疲弊からの脱却をはかることが、彼の最初の仕事でした。沖縄の経済・社会・教育の振興に大きな功績を残しました。

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