北谷町の自然・歴史・文化
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の名は記載されていません。さらに長老が葬られた長老山にある墓碑ても、A7だにそくらしと文化の名は確認できていません。北谷モlシ〔生没年未詳〕リA叩ヲかびゃっこヲ「北谷真牛金が、歌声打ち出せば、中辺飛ぶ鳥や、淀て聞きよさ」〔『琉歌百控』七九五年〕どまで謡われた、絶世の美声の持ち、王どいわれる伝説的な女性です。五ヒ少ミCJ の出身て、はワラビナ1(童名)です。北谷城の中腹にある墓に葬らのはれているど伝えられています〔写真参照〕。ただL、本部町伊野波の北谷屋モlシ(真牛)(屋号)の出身て、北山に仕えていたどの伝承もあリます。野国総官〔生没年未詳〕沖縄に始めて甘藷をもたらした人て、北谷間切野国村(今の嘉手納町)の出身どいわれています。野国総官は、一六O五年に中国ての公務を終えて帰国する時に甘藷の首を鉢植えにして持ち帰って野国て栽培し、しばらくして野里や砂辺など近隣の村々52Lんじiqにも伝えました。野国総官がもたらした甘藷は、儀間真常によって穀類に代わる主要作物どして沖縄全島に普及されまLた。野国総官の死後、野国・野里・砂辺の三村落てはその患に対Lて毎年二、三月の吉田に墓前て感謝祭を行っていましたが、いれいは仁め二年からは伊礼肇村長の提唱で村祭どなリ、祭日も八月一五日に変更されました。戦九後の分村によって、現症では嘉手納町祭どLて挙行されています。138 琉歌百控:もっとも古い琉歌集の一つで、三味線にあわせてうたう歌の曲をまとめたもの。編者は不明で、多くの書き写した本がありますが、ほとんどが一八世紀末から一九世紀初めにかけて写されています。北谷モ|シ野国総官の墓

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