北谷町の自然・歴史・文化
163/290

語り伝えられた人たち北谷長老〔?l一六五二〕リんざいLゅうみ47じんじは北谷長老は沖縄に臨済京妙心寺派を初めてもたらしたど伝えられている僧て、むんよヲLょうこヲぜんしを南陽紹弘禅師どいいました。法lioプ方一般に知られている「北谷長老」は、彼が北谷の出身じあいねんて、しかも北谷に隠居したこどもあって、人々が悲愛の念を込めて呼んだ尊称です。50うようL4ヲLつ封ヲ北谷長老について記Lた『球陽』(附巻一の尚質王五年)から、彼の生涯を見てみたZょせたまょせ北谷間切玉寄(玉代勢)村に生まれ、一九歳の時に日本へ渡ずいがん仁松島の瑞巌寺で四年間修業しました。モの後、江けんぜんじ沖縄に帰リ首里の建善寺の住職になリ生411Lト&λlo北谷長老は、一六年間も各地を巡ってから、ピうぜんじれいなん戸の東禅寺て妙心寺派の嶺南に師事してから、、.j } ました。数年後、建善寺の住職を辞めて故郷の玉代勢村に隠居しました。長老は一六一月五日に世を去リ、長老山に葬られました。その後も墓参するれいけんど病が癒えたり、害虫駆除など霊験が表れるどいわれ、北谷・玉代勢・伝道では三月五(順治九)年この北谷長老祭は一九(大正一)年から語り伝えられた人たち一一一日に豊年を祈るようになリました。いれいはじめそんちょうは、当時の伊礼肇村長の提唱で九月一五日に村祭どして行われ、LゅうせいせつLょうす。また、長老が終生殺生をLなかった話や、自らの死体を木の上に置き鳥に食べさせつわせるよう遺言した話など、多くの説話が伝えられています。現在にいたっていま北谷長老は謎の多い人物です。『球陽』ては首里の建善寺の住職になったこどになっしよじきゅうきリゅうきゅうこ{ゆbい5ていますが、「諸寺田記」〔『琉球国由来記』一七一三年〕の建善寺の歴代住職に長老臨済宗妙心寺派・・仏教の宗派の一つである臨済宗の中心で、京都の妙心寺を本山とします。沖縄には、一五世紀半ばにます臨済宗が伝えられます。その後、北谷長老によって妙心寺派が伝えられ、首里の安田寺が沖縄での本山とされます。東禅寺137

元のページ  ../index.html#163

このブックを見る